ケペルは転向にあらず
ツイッターというものがあって、ケペルのブログ記事を多くの人に紹介してくださるかたがいる。たいがい図書館関係の人らしくケペルのことを「転向」と決めつけておられるようだ。たとえば「図書館長は有資格者に限定すべきか」など、図書館にお勤めの人なら司書職制度確立を願い、有資格者の館長を望むであろう。いまでも日本図書館協会は「緊急アピール」などといっている。しかしこの論議も随分と長い経過がある。「緊急」とついているのは、一部に「いつまでこの論議をつづけるのか」「本当に実行する気があるのか」という声があるからだろう。ケペルはむかしからこのような論議に参加したことはない。ブログがあって初めて世の中に対して自己の意見を述べる手段をもてるようになった人間である。もちろん論文を発表して意見を述べるという手段をとらなかったわけではない。そのためには日本図書館協会や日本図書館研究会にも属して何十年も会費を納めてきた。しかし、論文は書けども書けども不採用になった。論文の質の問題かもしれないし、団体の方向や意見と異なることが原因かもしれない。しかし一個人として真剣に図書館の問題を考えたのであるから、異なる意見を採用してほしかったという気持ちはいまでもある。意見が他者と異なることは辛いこと、悲しいことではある。職場でも、「バカヤロー」と罵声を浴びせられたことが何度もある。民主的に討議するというルールづくりができていないことを今でも悲しく思い出す。いいたのはケペルは権力に媚びたり、なにがしかの団体の利益のために意見をいうのではない。自由な一個人として発言するのである。大新聞やメディアでもスポンサーやパトロンへの配慮からいえないことがあるという。ブログはそういう意味ではもっとも民主的な道具だと考えている。
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