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三河の人で石川凹という変な名前の武将がいた。号を丈山という。徳川家康の家臣で、大阪夏の陣で抜けがけの先登をしたことで、軍律違反の罪に問われ、浪人となった。詩文に優れ、京都に詩仙堂を造営し、90歳で没するまで、清貧の生活をした。鳥獣から田畑を守る民具「鹿威し」を、風雅の小道具として初めて庭園に取り入れたのは丈山の考案である。花を愛で月に吟じて、詩作に興じた。詩仙堂は杜甫、李白、王維などの36人の詩仙の肖像を狩野探幽に描かせ、丈山自身が得意の隷書で漢詩を添えた板絵を掲げる「詩仙の間」があることからの名称である。
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