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2011年1月11日 (火)

忽然と消えたと思っていた児童文学館はゾンビのように生きていた

    吹田の万博公園にあった国際児童文学館が2009年の12月27日を最後に閉館してから1年が経つ。資料は東大阪にある大阪府立中央図書館へ移管された。(つまり廃止ではなくて、移転か?)2010年5月には一応再オープンしている。とはいえ独立館当時の機能としては見るべきもない。1979年5月オープンだから25年の寿命、人間で喩えると佳人薄命という印象である。児童読物を中心に古い貴重な資料を保存しているという役割があるだけに、四半世紀という期間はあまりにも短い。国立国会図書館よりも児童資料はたくさんあった。完全な失敗例だったといってよい。失敗の原因は何か。スタート時からゴタゴタの連続だったが、部外者にはわからないことも多い。①まずコンセプトが明確ではなかった。基本構想では「研究機関である」といい、条例では「子ども図書館である」といっていた。最後まで図書館と研究機関で彷徨い中途半端に終わった。②運営そのものが府の直営でなく、委託運営であることが、基盤を弱くした③規模が適正だったのか。バブル経済のとき大きなハコモノを建設したが、維持コストを考慮していたのか疑問である。④関西人の気質。学者・文化人はシャレやアホなことを好む。いいかげんで、ちゃらんぽらん。継続性がない。児童文学館の運営には関西人の悪い面が出た。1990年ごろ、「大阪国際児童文学館は滅ぶ」といえば、「アホ言うな」と一笑に付されただろう。だが現実に起きてしまった。思えばアレクサンドリア図書館の70万巻のパピルスも消滅した。ペルガモン図書館の蔵書20万巻もない。古代ローマ図書館10万巻も残らず衰退した。大阪国際児童文学館の顛末は日本図書館史上、最悪の出来事である。これを反省しないのも関西人の特長である。建物は忽然として無くなったものの、大阪国際児童文学館と検索するとホームページとしてはでてくる。資料が府立図書館に移管されて、名称はゾンビのように残っていた。何十年後か再び独立するまで仮住まいで忍んでいるのかもしれない。奇妙な話だ。

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