名君だった松平忠直
大分市の浄土寺にある忠直の墓(中央) 愛人お蘭(左) 娘おくせ(右)
福井第2代藩主・松平忠直(1595-1650)といえば連日酒色にふけり、領民を次々と惨殺し、家臣の妻を奪い、笑わぬ愛人を喜ばせるために妊婦の腹を割いたという暴君として知られる。とくに忠直を有名にしたのが菊池寛の『忠直卿行状記』(1918)。さらに海音寺潮五郎も『悪人列伝』の中で「日本史上類例のない暴悪な君主」と書いている。実際の歴史資料でも参勤交代の令に服そうとせず、江戸出府の時期がきても福井から出立しなかったり、あるいは国は出たものの、途中で狩猟に興じて出府の遅延をはかったりしたとある。幕府もついに元和9年春、突如忠直に隠居を明治、同時に豊後の萩原わ配流を決定した。忠直は1650年、大分市郊外の津守の館で病死している。ところで忠直の行状の中には、中国殷周の帝王の故事と似ているため作り話であろう。鯖江市の長久寺には、忠直が鳥羽野開拓につくしたとして土地の人たちが建立した宝篋印塔が残っている。実は忠直は名君だったのではないだろうか。
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