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2010年12月10日 (金)

田中正造、天皇陛下に直訴す

    栃木県北部にある足尾銅山は、慶長15(1610)年に発見され、江戸時代から日本の代表的な銅山だった。その足尾銅山も明治になるとすっかりさびれていた。古河市兵衛(1832-1903)は奥州一円の生糸買付けで儲け、さらに足尾に隠れていた鉱脈に気づいて、明治7年ごろから鉱山業に乗り出した。足尾の銅山はみるみる甦り、明治14年に172トンだったのが、明治18年になると4000トンもの銅を生産するようになった。しかし、そのため、銅山から流れでた鋼毒が渡良瀬川に垂れ流され、付近の農民たちは甚大な被害をうけていた。その鉱毒問題で立ち上がったのが、折から第1回の総選挙で当選した衆議院議員の田中正造(1841-1913)である。

   明治34年12月10日、明治天皇の馬車に向かって、正造は直訴状を手に「お願いがございます」と駆け寄り、天皇に公害の被害を訴えた。

   「草莽ノ微臣田中正造、誠恐誠惶頓首頓首、謹テ奏ス。伏シテ惟ルニ、臣田間ノ匹夫、敢テ規和ヲ踰エ法ヲ犯シテ鳳駕ニ近前スル、其罪実ニ万死ニ当レリ」

   美濃紙五枚に浄書されたその書状は、そんな書き出しではじまっていた。

   「伏テ惟ルニ、東京ノ北四十里ニシテ、足尾銅山アリ。其採鉱製銅ノ際ニ生ズル所ノ毒水ト毒屑ト、久シク澗谷ヲ埋メ渓流ニ注ギ、渡良瀬河ニ奔下シテ、沿岸其害ヲ被ラザルナシ」

   このときの直訴文は、前夜、当時「万朝報」の記者であった幸徳秋水が田中の草稿に徹夜で手を入れて浄書したものである。新聞で大きく報道され、この直訴事件が世間に与えた衝撃は大きい。婦人会が主催したある演説会で、当時東大の法科の学生だった河上肇が、はじめて知る被害の実状に感動し、着用の外套や襟巻きを差し出したというエピソードは有名である。

「死なば死ね 殺さば殺せ 死んだ世に 殺されるとて かなしくもなし」

   そのころ田中正造が詠んだ歌である。明治天皇崩御の翌年、渡良瀬川のほとりで倒れた。「医者も薬もいらぬ。心配要らぬ。わしの病気は日本の山河が荒れているのが原因なのだから」と静かに息をひきとった。享年73歳。田中正造の壮絶な生涯をひと言でいえば、「正義の人」といえるだろう。(参考:油井正臣『田中正造』)

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はじめまして

田中正造ドキュメンタリー映画
「赤貧洗うがごとき」―田中正造と野に叫ぶ人々―
が完成し、全国で自主上映が始まりました。

古河・佐野・北川辺などで上映会が行われ、正造さんの生き様に多くの皆さんから「感動の声」もいただいております。

今後、館林・前橋・東京などで上映が予定されています。上映日程など「公式ホームページ」を是非ご覧下さい。

このブログでは世界の人物伝をとりあげていますが、その中でも田中正造の生涯は小学生のときにはじめて知ってから、もっとも感銘をうけたわが人生の師であり、これからも田中正造から多くを学びたい。映画のスチールをみると田中正造にそっくりなのに驚きました。関西で上映があれば見せていただきます。

ケペル先生

有難うございます。
関西方面で「上映会」が決まりましたらお知らせいたします。
何卒よろしくお願い致します。

関西方面での「上映会」情報です

11月26日(日)
【映画と公演の2大イベント】
13:00~17:00
第1部 映画上映
第2部 講演会

会費:3000円
会場:岸和田天神宮(常盤殿)

申込締切11月20日(定員になり次第締め切りとなります)

主催:ありがとう講演会実行委員会
〒648-0094 和歌山県橋本市三石台4-1-15
TEL 0736-38-3669
FAX 0736-38-3680
宮本眞弓

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