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2010年12月13日 (月)

奥田孫太夫重盛

    俳句の冬の季語に「義士会」というのがある。12月14日、赤穂浪士義挙追慕の催しが行われる。「広辞苑」には義士の名前が数人は載っているものの全員ではない。赤垣源蔵、寺坂吉右衛門はあるが、不破数右衛門、奥田孫太夫の名はない。なんとなく不公平な気がしている。

    奥田孫太夫ほど不運な人はない。もともと鳥羽3万石内藤忠勝の家臣であった。ところが延宝8年6月将軍家綱の法事が芝増上寺で行われたとき、内藤忠勝は、丹後宮津藩主永井尚長に斬り殺された。いわゆる増上寺刃傷事件である。孫太夫は忠勝の姉が浅野長友(浅野長矩の父)に嫁したとき、その付人となったので、改易後も、そのまま浅野家の家臣になったのである。主家断絶に2度遭ったとは、奥田孫太夫はよくよく不運である。また寺坂吉右衛門のように歌舞伎や映画に取り扱われることもなく、死後も広辞苑にその名が記されず、世にその名が知られないのも不運である。

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