天野屋利兵衛は実在したか
「忠臣蔵」に登場する天野屋利兵衛は商人ながら義に厚く、赤穂義士討入りの際、武器や武具の調達をして、義士を陰で支援したことで芝居や映画などでよく知られた人物である。仮名手本忠臣蔵10段「天河屋」では天河屋義兵衛として登場するが、大坂の商人・天野屋利兵衛がモデルであろう。ただし天野屋利兵衛(1661-1733)は実在したが、赤穂事件と関係したかは不明である。
ただしネットなどで調べると、さまざまな巷説があって面白い。第1は、5代目天野屋利兵衛は経営に失敗したが、赤穂塩で豊かな浅野藩が「赤穂塩」の販売を天野屋に取り扱わせるようにして援助した。それで経営再建した天野屋は、商売繁盛して、浅野家に恩義を感じていたという説。第2は、岡山県英田郡西粟倉村は天野屋利兵衛潜居の地といわれる。西粟倉村は古くから砂鉄の産地で、備前長船の刀鍛冶勝治はこの地で刀剣を鍛えた。天野屋は良質の鉄の産地で鉄を調達し、三木の刀鍛冶で鍛えて、義挙に必要な武器を揃えたという説である。西粟倉村の話は昔は観光パンフレットなどにも紹介されたこともあるが、昨今、寺田屋にもみられるように、史実と虚像の論議も厳しく、この伝説も抹殺されるかもしれない。天野屋と赤穂塩を関連させた説も歴史のあと知恵のようで、史料や文書があるわけでない。「天野屋利兵衛は男でござる」の名セリフや神崎与五郎の馬喰丑五郎堪忍袋(韓信の股くぐりのパクリ)など「忠臣蔵」にはそういった類の俗説も多いが、巷説として温存してもいいのではないだろうか。
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恐れ入ります。大変無知であり、お恥ずかしいのですが、こちらの記事に掲載されております写真はどういったものになるのでしょうか。外国人の友人が大変興味を示しており出来る限りの説明をしてあげたいと思っております。お返事いただければ助かります。
投稿: yoshioka | 2014年11月12日 (水) 23時40分
歌舞伎では、時代を足利将軍の年代にとり、浅野内匠頭を塩治判官高貞、吉良上野介を高師直に代えている。これは幕府からの取り締まりから逃れるためである。堺の商人天野屋利兵衛は天川屋義平となっている。この画像は歌川国芳の浮世絵(1848年)。仮名手本忠臣蔵10段目の話。義平は由良之助の討入りの武器調達をしているので、万一の場合を考え、女房おそのと離縁する。幼い由松とも別れなければならない。その一場面であろうか。
投稿: ケペル | 2014年11月13日 (木) 02時03分