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2010年12月17日 (金)

正太の初もうで

    むかし、むかし、あるところに、正太という若者が母親とふたりで暮らしていました。正太は親孝行者でしたが、家が貧しくて、働いても暮らしは楽にならず、そのため苦労ばかりしていました。ある年の暮れのことでした。正太は、「せめて正月ぐらい、お母さんに好きな酒と餅ぐらい食べさしちゃりたいもんじゃ」と思いました。一夜あけて、正月元旦です。正太は福神様へ初もうでに出かけて行きました。正太は心をこめてお祈りをしました。すると、後からひとりの老人が正太を呼び止めるのです。

「わしに用かいの」

正太は、見も知らない老人なので、いぶかしそうにたずねました。

「あんたに、こりょうやろうと思うての」

老人はにこにこ笑いながら、袋を正太に渡しました。

「こりゃあなんかいの」

    正太は不思議に思って、その袋を受け取ったものかどうかまよってますと、老人はそれにかまわず、「この袋は宝袋ゆうて、不思議な袋じゃあ。大事にせえよ」と言ったかと思うと、煙のように姿を消してしまいました。正太は手に持っていた一文銭を一枚、その中に入れてふところへしまっておきました。家に帰った正太は、その袋を取り出してお母さんに見せました。するとどうでしょう。たった一文銭一枚しか入れなかった袋の中には、黄金色に光る大判が一枚あるではありませんか。正太もお母さんもびっくりしてしまいました。そして、いったん閉じた袋をもう一度開けてみました。すると今度は、大判が二枚になっているのです。袋はほんとうに宝袋で、二枚のお金を入れれば四枚、四枚入れれば八枚というふうに、だんだん増えていくのです。あくる日の正月2日、正太はこうして開くたびに増えていった大判を百枚以上ももって、福神様に行き、老人の姿をさがしましたが、見当たりません。三日も五日も、毎日、福神様にお参りして老人をさがしましたがみつかりませんでした。それは神様が正式に授けてくださったものだったのです。正太は初もうでのおかげで、しあわせな毎日を過ごすことができたということです。(広島の民話)

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