片岡源五右衛門高房
片岡源五右衛門は尾張藩士熊井重次郎の子で、叔父の赤穂藩士片岡六左衛門の養子となり、片岡姓を名乗って浅野家に仕えた。元禄13年、主君浅野内匠頭に従って江戸に下向、翌年の殿中刃傷のときは江戸城大手下馬先で供待ちしていた。網打ち駕籠に乗せられて田村右京大夫邸(港区新橋3-3)に入った内匠頭は酒や煙草などの好みの物も与えられず、家来への連絡も許されないまま、庭前で切腹させられた。ただ検使・多門伝八郎のはからいで、切腹の庭にのぞむ内匠頭が書院を通るさい、はるか庭先から、片岡源五右衛門のみが拝領することができた。互いに無言のまま今生の別れをかわしたが、源五右衛門も断腸の思いで主君の最後を見送ったのである。
風さそふ花よりもなほ我はまた
春の名残をいかにとかせん
内匠頭は哀切な辞世を残して三十五年の生涯を閉じた。
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