シェパード夫人殺害事件
鹿児島で昨年6月、老夫婦を殺害したとして、強盗殺人罪などに問われた被告人の裁判員裁判で、死刑の求刑に対し、無罪判決が言い渡された。2人の命が奪われながら、犯人であることを示す証拠はなく、しかも被告が完全否定する重大事件。裁判員はDNA型鑑定や現場の指紋、遺族の感情などにより、状況証拠のみで死刑と決めたのだろうか。地裁判決は無罪。「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判における原則にもとづくものである。過去の例でも、被告が犯行を否認しているのに死刑が求刑され、一審判決で無罪判決が出されたのは3件しかない。まるで1954年アメリカ・オハイオ州で起きたサム・シェパード事件を思いおこす。青年医師サム・シェパードは、情け容赦ない憶測により、妻マリリンの殺人罪の判決を言い渡された。だが、その後の調査で侵入者が2人いた痕跡が見つかり、12年後、逆転無罪を勝ち取った。サム・シェパード死後、DNA鑑定により正式に無罪が認定されている。F・リー・ベイリー弁護士は「今、人々は親しげにサムを祝福し、過去の行き違いを水に流そうとしていますが、彼らのせいでサムは電気椅子に座らせられるところだった」と語っている。この冤罪の恐ろしさをキャンペーンしたのが、テレビドラマの「逃亡者」だった。アメリカのドラマを見ていると、陪審員による冤罪がよくテーマとなる。最近、日本でも裁判員を扱ったドラマを見ることがある。被告人への予断や偏見があるように感ぜられる。罪なくして罰せられる人を生むことだけは無くしてほしい。
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