マリー・ローランサンの母
第一次世界大戦後、ココ・シャネルのような新しい女性が現れた時代、男ばかりの画壇にあってマリー・ローランサン(1883-1956)のような女性画家もパリの社交界で人気を博して肖像画家として台頭してきた。マリーの母はポーリーヌ・メラニー・ローランサン(1861-1913)といい、縫い物をして生計を立てていた。ラテン語ができる教養豊かな人だったといわれる。22歳のときローランサンを生むが、私生児だった。父の名はアルフレッド・スタニスラス・トゥーレといい、のちに代議士になったが、1905年に亡くなっている。母と娘は、そこに猫を交えて強い絆で結ばれ、ローランサンはしっかりとした躾を受けた。成人するまでは父の経済的援助もあり生活はそれほど苦しくなかった。甘美で洒落た女性像を描き続け、晩年も愛人のシュザンヌ・モローとひつそりとパリで暮らした。
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