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2010年12月 6日 (月)

斎藤一と片岡利和

    テレビドラマ「新選組血風録」の放映の頃(昭和40年)、おそらく新選組副長助勤・斎藤一(1844-1915)がどのような人物なのか誰も知らなかっただろう。あれから40年以上を経ても、ケペルの頭の中は、斎藤一=左右田一平なのである。のちの「燃えよ剣」では、裏通り先生という医者の役なので、わずか半年の記憶にもかかわらず、あの飄々とした左右田一平のイメージが、新選組という史上最強の殺人集団という血なまぐささ、残忍性を男のロマンに変えている。

    ところで新選組隊士の中で誰が一番の凄腕だろうか。隊士・阿部十郎(1837-1907)は、「一に永倉、ニに沖田、三に斎藤一」の順であったと後年語っている。なるほど、永倉新八(1839-1915)は神道無念流、沖田総司は天然理心流である。では斎藤一の流派は何流であろうか。最近、赤間倭子の調査によると、播磨国で無外流を修得したということが判明した。

   斎藤一の事績としては、慶応2年4月1日、祇園石段下において、谷三十郎を斬ったこと、慶応3年6月22日、竹田銭取橋において、武田観柳斎を斬ったこと、などは「新選組血風録」左右田一平版で見た。最近、知ったことであるが明治の千島探検家・片岡利和(那須盛馬)と斎藤一は斬り合いをしているのである。慶応3年1月7日、中村庄五郎と那須盛馬の2人が四条小橋西高瀬川筋下ル船頭町にある浮蓮(うかれ)亭で飲酒した帰途、四条河畔で沖田総司、斎藤一、永倉新八と遭遇、斬り合いになった。この乱闘で沖田と永倉は那須の肩先と右足に深手を負わせ、斎藤は中井を切り立てたが、2人は逃走した。中井はその年の12月7日、天満屋事件で斬死している。那須盛馬は、北越戦争に参加し、明治天皇の侍従となり、貴族院議員として顕官に就いた。

   歴史的事績の貢献度で評価するならば、片岡利和のほうが斎藤一よりも顕彰されるべき人物であるはずである。ところが「斎藤一の会」というのは現在も存在するらしいが、「片岡利和の会」というのは寡聞にして知らない。これも左右田一平の飄々とした演技の賜物とケペルは思っている。

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