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2010年12月 9日 (木)

小野寺十内の妻

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  小野寺十内は武芸にも練達していたが、学問を伊藤仁斎に、和歌を金勝慶安に学んだ。妻の丹は、赤穂藩士灰方氏の娘で、2人の間に子はなく、夫婦ともに和歌を好み、十内は藩内随一の歌人といわれた。元禄15年9月、十内と丹は江戸と京都にわかれ、二度と会うことはなかった。そのため、2人は、愛情細やかな手紙を交わしあった。十内が切腹した後、丹は老母の死をみとると、夫の十内と養子の幸右衛門、それに、2人の甥、大高源五と岡野金右衛門、合わせて4人の義士の供養墓を西方寺の境内に建て、本圀寺(京都市山科区)へいって断食して没した。辞世の歌二首。

うつつとも思はぬ内に夢さめて妙なる法の華にのるらむ

夫や子のまつらむものを急がまし何かこの世に思いおくべき

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忠臣蔵」カテゴリの記事

コメント

小野寺十内の句にいささか関心があり投稿させてもらいます。その句は「会うときは語り尽くすと思えどもわかれとなれば残る言の葉」という大変に美麗なものです。以前NHKの大河ドラマでは小野寺十内の辞世の句で放送していましたが、森村誠一の大忠臣蔵では大石主税の辞世の句になっていたためNHKに確認したことがありそれ以来小野寺十内の句が気になっておりました。結局このきれいな句は十内が妻の おたんに宛てた句であり辞世ではないとの回答を得ました。それにしてもなんと心を打つ句でしょうか・・・・。

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