陸軍内務班の制裁
最近の映画やドラマではほとんど見ることはなくなったが、かつては軍隊映画といえば初年兵のシゴキの場面がとても印象的だった。亡くなった親父などもそういうシーンを見ると軍隊生活を思い出すようだった。とくに南道郎(昭和元年生まれ)は軍人をやらせたら右に出る俳優はいない。「陸軍残酷物語」「二等兵物語」「潜水艦イー57降伏せず」「人間の条件」「兵隊やくざ」「独立愚連隊」など意地悪な古参兵が戦争映画には欠かせないキャラクターだった。野間宏の「真空地帯」の映画をみたが木谷(木村功)は石切陸軍刑務所から仮釈放されて部隊は大阪の連隊のようである。かって「またも負けたか八連隊」という俗謡があって、大阪は商人出身が多くて算盤よりも重いものをもつたことがなく、ひ弱ですぐに退却するという話を聞いたことがある。この俗謡は西南戦争のころであるが、第二次大戦中も言葉としては存在した。
陸軍内務班ではどのような制裁があるのだろうか。初年兵にとって、もっとも猛烈なシゴキ屋さんは、初年兵係上等兵以下の古兵(2年目以上の一等兵)である。フンドシ洗いから靴みがきまで全部やらされ、少しでも気にいらないことがあれば痛烈な罵言や私的制裁を加えられる。古兵たちにとっては自分たちのみじめな初年兵時代への報復を兼ねて、大きな刺激と楽しみであっにちがいない。
チャンチュ 比較的軽い処罰法で、鼻の頭を人さし指ではねあげる。これをやられると目に涙がたまり、視界がさえぎられジーンとくる。
対向ビンタ 二列に向き合って並んで、交互に相手の頬を手のひらでなぐり合う。最初はお互い手加減をしているが、次第に本気になり、力がこもってくる。
空中戦 基本体操の腕立て伏せをして、「右旋回、左旋回」などという号令に合わせ、片手を上げる。罰が重いときは、逆立ちして同じことをする。
自転車 二つ並べた机の間に身体を両腕で支え、ペダルを踏むポーズをする。古兵から「平道、上がり坂、下り坂」あるいは「前方から中隊長殿」といわれれば、その状況に応じて足を回転させ、表情・動作をかえなければならない。
整頓くずし(拉縄を引く・妙高おろし) 拉縄は野砲の引き鉄を引く綱のこと。衣類の整頓の悪い兵隊の巻脚袢のはしを拉縄にみたてて一気に引くと、その上に積み重ねられた衣袴などが整理棚から一度にくずれおちてしまう。連隊によっては「妙高くずし」といって、竹刀で衣類を舞い上げるなど、種々の趣向がこらされている。
拾い兵 錬兵場で銃口蓋などを紛失すると、班の連帯責任となり、一列横隊にはいつくばって、見つかるまで探さなければならない。
魚の絵 枕おおいの洗濯を怠った兵に与えられる罰則で、枕おおいにチョークで魚やカッパの絵をかかれ(水がほしいの意)それを持って各班回りをさせられる。
歩兵銃へのおわび 銃の手入れを怠った兵に対する罰則。「三八式歩兵銃殿。手入れを怠って申しわけございません。今後は気をつけますからご勘弁ねがいます」と大声でとなる。
せみと犬 柱の高いところに昇り「ミーン、ミーン」と鳴く。力が尽きて下へ落ちれば「ワン、ワン」と犬の真似をする。肉体的苦痛は小さいが、次の「うぐいす」同様、自尊心を最も強く傷つけられる罰。
うぐいすの谷渡り 並んだ寝台の上を飛び越え、下をくぐり、そのつど寝台の下から顔を出して「ホーホケキョ」と鳴く。
おいらん 銃架から銃を一挺はずして、そこから罰を受ける初年兵が頭を出し、廊下を歩く者を、声色を使いだれかれとなく呼びとめる。
ここに集めた制裁は主に陸軍のものであるが、呼び方や細部にわたっては時代や各連隊によって異なっている。外国の戦争映画をみても諸外国には日本のような天皇陛下を頂点とした階級制、赤化への嫌悪、などはみられず、日本独自のイジメ体質が国民性として存在するとみている。
ともあれ1日の日課が終わり、やがて寝床につく。初年兵の耳に消灯ラッパがひびく。
「新兵サンハ 可哀ソウダネー マタ寝テ 泣クノカヨー」
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「陸軍内務班の制裁」につき、当ブログにて紹介させていただきました。
参考になりました。どうもありがとうございます。
投稿: ジージ | 2011年2月21日 (月) 11時25分