献上された都鳥
名にし負はば いざこと問はむ都鳥
わが思ふ人はありやなしやと
伊勢物語第9段「東下り」で知られる都鳥。霊元上皇は歌道に通じた教養人であった。あるとき、都鳥というのはどんな鳥か見たいといった。それを聞いた徳川将軍吉宗は、さっそく隅田川へ行って自分で都鳥を射とめ、それを矢があたったままのかたちで箱につめ、急使をたて上皇のところに送らせた。京都の御所では吉宗から都鳥が献上されると聞いて、もっとりっぱな籠にでも入れて、生きたままの都鳥がくるのであろうと予想していたら、箱がとどき、あけてみたら矢にささったままの死鳥がでてきたので、おおいに驚いたという。
« 花の吉原百人斬り | トップページ | 以心斎の墨蹟 「雪」 »
「日本史」カテゴリの記事
- 河越城の戦い(1546年)(2024.04.20)
- かえり船(2024.03.23)
- 鍋島騒動(2024.03.20)
- 勘解由使(2024.01.14)
- 藤原兼家(2024.01.12)
コメント