無料ブログはココログ

« 呪文 | トップページ | 中国飲酒詩 »

2010年12月26日 (日)

ユトリロの母シュザンヌ・ヴァラドン

    エコール・ド・パリを代表する画家モーリス・ユトリロ(1883-1955)の母であるシュザンヌ・ヴァラドン(1865-1938)は女流画家として知られている。1883年12月26日、パリ、モンマルトルのポトー通りの一角で、男児を生んだ。彼女は18歳、父親はわからない。シュザンヌは1865年、フランスのリムーザンで洗濯女の私生児として生まれた。本名は、マリ・クレマンティーヌ・ヴァラドン。5歳のとき母とパリに出てモンマルトルで暮らした。はじめサーカスのアクロバットの美少女として人気があったが、ブランコから転落して足をくじいたため、母とゲルマ小路の洗濯屋で働いた。15歳のとき、画家ビュヴィス・ド・シャヴァンヌの家へ洗濯物を届けに行った。画家は彼女にモデルになることをすすめた。娘はマリアという名でモンマルトル界隈の画家たちを相手にポーズをとった。ドガ、ロートレック、ルノワールの名があげられる。祖母のマドレーヌと三人でトゥールラック三番街に住んでいた。その隣に住んでいたのがロートレック(1864-1901)である。20歳のシュザンヌは2歳のモーリス・ユトリロを連れて、ロートレック(21歳)の愛人になる。そしてシュザンヌもいつとはなしに絵筆を持つようになっていた。ロートレックは気難し屋で皮肉屋の画家ドガ(1834-1917)に彼女のデッサンを見せた。抜群のデッサン力を持つこの老画家は、彼女のデッサンをしげしげと眺めて「この娘はぼくらの仲間だね」といった。

   シュザンヌは1896年、数年来同棲していたポール・ムージと結婚する。その後、離婚し、ユトリロよりも若い凡庸な画家アンドレ・ユテルと再婚し、奇妙な三人暮らしが始まる。1935年、ユトリロは裕福な未亡人リュシー・ポーウェルと結婚し、ユトリロ夫婦と母は幸せな生活を送る。シュザンヌは、1938年、73歳で亡くなっている。

« 呪文 | トップページ | 中国飲酒詩 »

「文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 呪文 | トップページ | 中国飲酒詩 »

最近のトラックバック

2017年5月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31