海老蔵家の栄光と悲劇
歌舞伎の市川海老蔵が深酒のうえ殴られ重傷を負った事件は新たな事実が報道され、歌舞伎界全体のイメージ低下も招きかねないほどの大きな波紋を広げている。
市川海老蔵の本名は堀越孝俊である。堀越という姓は、甲斐の武田家に仕えた堀越十郎にさかのぼる。主家滅亡後、下総国植生郡幡谷村に移住、農業をしていたが、初代市川団十郎の父、重蔵のとき江戸に出て、重蔵は「菰の重蔵」と渾名された顔役で、幡随院長兵衛や唐犬十右衛門などの侠客たちと親交があり、初代団十郎(1660-1704)が生れたときは、唐犬が海老の画幅を贈って長寿を祝い、自ら名付け親となって海老蔵と命名したといわれている。初代は荒事芸の創始者で、元禄期の歌舞伎を代表する名優であったが、怨恨のため生島半六に舞台で刺殺された。8代団十郎(1823-1854)は若くして技芸にすぐれ、美貌だったため人気を集めたが32歳にして謎の自殺を遂げている。9代団十郎(1838-1903)は「劇聖」として近代歌舞伎を確立した。11代団十郎(1909-1962)は「海老さま」の愛称で人気を集めたが、団十郎襲名わずか3年で他界した。その長男が現12代団十郎である。その子の海老蔵は名家に生まれ、甘やかされて育ち、女と酒に溺れる青年期を過ごした。泥酔して奇声をあげ、暴れまわる。海老蔵の素行はこれまで周知の事実であったが、誰もが「触らぬ神に祟り無し」と遠ざけ、恐ろしげな暴走族との交際が取り沙汰されるなど、もはや彼の周辺には悪友だけが集まるようになったのだろう。名家にまつわる栄光と悲劇は尽きない。
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