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2010年12月14日 (火)

イプセンはなぜノーベル賞を受賞しなかったのか?

   最近はノーベル賞とか金メダルとか文化勲章とか権威ある賞の話題が多い。このような賞というのはだいたい20世紀の設立されたものであるが、初期の人はかならずしもこのような権威に対して有難く頂戴する人ばかりではなかったようだ、夏目漱石は博士号すら頑なに固辞した話は有名である。明治人の気骨とでもいうべきであろうか。たとえばノーベル賞のなかでも一般人でもなじみのあるのは文学賞である。シェリ・プリュドム、モムゼン、ビョルンソン、ミストラル、エチュガライ、シェンキェヴィチ、カルドゥッチ、キップリング、オイケン、ラーゲルレーヴと1901年から1909年までの10人の受賞者のうちで、いま日本で読まれ続けるのは「クオ・ヴァディス」のシェンキェヴィチと「ジャングルブック」のキップリングぐらいではないだろうか。当時まだ存命だったトルストイ(1910年没)、チェーホフ(1904年没)、ゾラ(1902年没)、イプセン(1906年没)などはなぜ受賞しなかったのだろうか。とくにイプセンは「人形の家」(1879)の傑作を残し、世評も高く、鴎外や漱石の小説にもでてくる。女性解放運動にも大きな影響を与えた。イプセンと同時代のノルウェーのビョルンソンはノーベル賞を1903年に受賞している。つまりはノーベル賞は穏健な近代理想主義で社会通念に反するものは排除していたのであろうか。トルストイも無政府主義な思想が不利になった。公平な賞などはこの世に存在しないのである。

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コメント

 歴史に『if』はご法度と申しますが、それでも初期のノーベル文学賞に関しては不自然な感は否めません。特に第一回は、どうしてシュリ・プリュドムなのかが未だに私にはミステリーです。仮にトルストイが受賞していたら、その後の潮流も変わったように思いますし、ご指摘のようにヘンリック・イプセンも然りです。そうはいっても、恥ずかしながら、私はイプセンを15歳まで知りませんでした。偶々高校一年の時に地元の劇団の舞台(人形の家)を観て感動し、その帰りに書店で買って読みました。名作というからには長編だと勝手に思い込んでましたが、手にした本は二時間で読める短編戯曲でした。翻訳は矢崎源九郎先生で、後に俳優の矢崎滋さんのお父様だと知って驚きました。『人形の家』は、短編戯曲とはいえ、明らかに時代を動かすエポックメイキングな作品でしたし、その影響は、単に女性の地位のみならず、正に『近代』の礎となった作品であり作家でもあり、それだけに残念で仕方ありません。
 私は永くヒョードル・ミハイロヴィッチ・ドストエフスキーのファンで、レフ・ニコラエヴィッチ・トルストイは好きではありませんでした。しかし、そこには明確な理由がありませんでした。もっと正確に言えば、読み比べる能力もありませんでした。しかし、偶々NHKのトルストイ特集を見て、漸くトルストイ文学に多少なりとも触れることになり、ドストエフスキーとは違った言葉や感性に身震いしました。そして、辿り着いた答えは、トルストイこそ第一回ノーベル文学賞に相応しいという結論でした。
 トルストイ、そしてイプセンが名を連ねていれば、ノーベル文学賞は、自然科学分野の付け足しのような扱いにはならなかったと心から思う次第です。
 さて、今年も秋にはノーベル賞の発表がありますが、HARUKI・MURAKAMIは受賞するでしょうか・・・。

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