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2010年12月18日 (土)

郡上凌霜隊の悲劇

    慶応4年4月10日、江戸本所中ノ橋の料亭「菊屋」に集結した一団の武士が船に乗り込み、暗い海上へ消えて行った。総勢47名、17歳の朝比奈茂吉を隊長に、53歳の坂田林左衛門を副長に仰ぐ郡上藩の精鋭「凌霜隊」であり、一行は会津若松鶴ヶ城応援のため編成されたものであった。下総の行徳に上陸。ここから船で江戸川をさかのぼり、関宿を経て前林に上陸する。小山の初陣から5ヵ月余で転戦に転戦を重ねて鶴ヶ城に入った。城下は既に西軍が侵攻しており、城は籠城戦にはいっていた。凌霜隊は開城の日まで西出丸の防衛にあたった。会津開城後は囚人同様にして故郷の郡上八幡に護送され、禁錮の処罰を受けて入牢、死罪を言い渡されたのだったが、明治3年2月に釈放された。しかし赦免はされても世間の目は逆に冷たかった。朝敵の汚名は、世の中が落ちつくにつれてますます拭い得ぬものとなり、いつしか凌霜隊の名は歴史から消えていったのである。

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