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2010年12月19日 (日)

車谷長吉の小説家論

    朝日新聞の「悩みのるつぼ」という欄に、「小説が書きたい」という71歳の老人に対して、車谷の回答が面白い。(朝日新聞2010.12.18)①小説は善人には書けない②小説を書くには覚悟がいる③多趣味な人には小説は書けない。作家になること以外のすべてのことを捨てる、などハードルが高い。ここでいう小説とは主に私小説、純文学系を前提として論じているのであろうか。現在はケータイ小説やライト・ノベルズのようなものもあり多趣多様なので作家になる人の経歴もまちまち。水嶋ヒロや爆笑問題の太田光、劇団ひとり、さだまさし、なかにし礼、中村敦夫、高橋洋子、青島幸男、俵万智、乙武洋匡など専門家でなくとも小説家といえる人はいる。ただし、タレントでも小説が書ける人、書けない人がいる。その差はどこにあるのだろう。車谷は「頭のいい人は書けない」と論じている。「人には真・善・美・偽・悪・醜の六つの要素が備わっている。頭のいい人は偽・悪・醜について考えると頭が痛くなってしまう」という。実例として和辻哲郎や柳田国男が小説を書きたかったが成功しなかったことをあげている。そういえば思いあたる。高浜虚子も小説家としては失敗したし、歴史家の家永三郎の小説なども読む人がいるだろうか。小説は「虚」によって「実」を破ることである。やはり嘘をつくことでテーマが見えてくる。「頭のいい人は小説は書けない」といったが、では漱石や鴎外は頭が悪いのか、そうではない。車谷はこれらの人は「頭の強い人」と分類している。「強い」という比喩に説明はないが、頭が痛くならずに、人間の苦悩や悪を突き詰めて考えることのできる人なのであろう。既知の事実を追求する雑学博士は時間と根気さえあれば可能であるが、やはり小説を書くということは向き、不向きがあるのだろう。その証拠に国語で作文の課題はあるが、小説を書くという課題や宿題はない。小説を書くことは誰にでもできることではないのだ。

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