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2010年11月18日 (木)

徳川家宣

    5代将軍綱吉の甥にあたり、将軍世継の有力候補だった甲府綱豊が西の丸入りしたのは宝永元年で時に綱豊は43歳だつた。この西城入りと同時に名を家宣と改めたが、家宣の将軍就任はそれより5年後、48歳のことで当時としてはもう老年の部類に入る。綱吉の晩年は世継ほしさに迷信に陥った上に、生類憐の令によって処罰される人間が多かったため、不評であった。このほか綱吉の施政には金銀貨の改悪や運上金の割当てのような悪政があった。家宣は矢つぎばやに前代の悪政を改めるとともに新政を打ち出していくが、手始めが生類憐みの令と粗悪な銅貨十文銭との廃止である。ついで酒運上、箔運上をやめ、風俗取締令を下すという状況だった。理想主義の新政治は次第にその本領を発揮しつつあったが、不運なことに家宣は正徳2年10月、事業半ば51歳にしてその生涯を閉じた。

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