お宮の松
尾崎紅葉の「金色夜叉」は明治30年から明治35年まで、読売新聞に断続6年にわたって連載され評判になった小説である。すぐに新派劇に脚色され「金色夜叉・熱海海岸の場」として、明治31年初演され、たちまち人気を集めた。この新派劇をもとにして、演歌師宮島郁芳が「金色夜叉の歌」をつくり、この歌もたちまち全国に流行した。
熱海の海岸散歩する
貫一お宮の二人づれ
共に歩むも今日限り
共に語るも今日限り
あまりにも有名になったので、熱海の有志の人々が小栗風葉の「宮に似たうしろ姿や春の月」の句を刻んだ碑を、大正8年に建てた。この老松がお宮の松と呼ばれ、熱海の新名所となった。昭和24年のキティ台風で道路が傷み、海岸に伸びた枝を切ったりしたため、車公害でとうとう老松は枯れてしまった。現在のお宮の松は、昭和41年、二代目お宮の松として、碑とともに移されたものである。
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