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2010年11月26日 (金)

アプレゲールと国家主義

    戦後、アプレ・ゲールという言葉が流行した。広辞苑によると「第一次大戦後、フランスを中心として興った文学上・芸術上の新しい傾向。日本では第二次大戦後、新しい文学を創造しようとした若い著作家の一部をいう。転じて、第二次大戦後の放恣で退廃的な傾向にもいう」とある。

    戦後、真善美社という小さな出版社があり、戦後文学のいくつかの注目すべき作品を出版している。例えば、埴谷雄高の「死霊」(昭和23年10月)や安部公房の「終りし道の標べに」(昭和23年10月)などである。真善美社の社長は中野達彦という人である。父は中野正剛(1886-1943)、母は三宅多美子で三宅雪嶺(1860-1945)、三宅花圃(1868-1943)である。つまり中野達彦は明治の代表的なナショナリズムの評論家を義父にもち、大正・昭和の政治家を父として、国家主義的な環境のもとで育った。ところが、戦争末期の昭和18年、中野正剛は東条倒閣運動の首謀者として検挙され、割腹自殺する。祖父の三宅雪嶺も昭和20年11月26日、中野達彦の自宅で85歳で没する。中野達彦は戦後、出版社をつくるが、その名称は祖父の三宅雪嶺の代表作「真善美日本人」に因んで「真善美社」とつけられた。ところが出版される内容は三宅雪嶺や中野正剛の思想とは大きくことなるものだったようだ。たとえば、埴谷雄高の思想遍歴をたどるとスティルネルふうなアナーキズムからマルクス主義、共産党、転向と変遷するものの国家主義的なものとは無縁といえる。

   安部公房は昭和22年、戦争中の体験を踏まえて書いた「粘土塀」と題した処女長篇を成城高校時代のドイツ語担当教員・阿部六郎に読んでもらた。阿部は、この作品を埴谷に送り、「粘土塀」の内の「第一のノート」が昭和23年10月に「個性」に掲載された。昭和23年10月に「終りし道の標べに」が真善美社のアプレゲール新人創作選9の一冊として出版されるにあたり、「第二のノート」以下の部分も書き加えられて出版された。埴谷や安部の難解な作品論は別として、ともかく哲学的であり戦争が作品に影響していることは間違いないであろう。ちなみに野間宏、梅崎春生、椎名麟三、中村真一郎を第一次アプレゲール作家とされたことがある。真善美社の「アプレゲール叢書」と名づけたのは中村真一郎だといわれている。

   真善美社の中野達彦の詳しい生涯は知らないが、国家主義とアプレというまさしく戦後の混乱期を体現したような人物であろう。

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