寺田寅彦とバイオリン
寺田寅彦(1878-1936)は第五高在学中の明治30年に阪井夏子(15歳)と結婚している。しかし当時の熊本はバンカラの気風であったので、新妻を熊本へ呼び寄せることはできず、高知と熊本と別れて暮らすことになる。明治32年9月、寅彦は東京帝国大学物理学科に入学し、夏子と所帯をもつことができた。ところが夏子は明治35年、20歳で亡くなる。明治38年には浜口寛子と再婚するが、やはり結婚生活10年余りで妻に先立たれている。
寅彦は結婚生活には余り恵まれていたとはいえないが、先生にはたいへんめぐまれていたようだ。第五高時代に、夏目漱石に英語、田丸卓郎(1872-1922)に数学と物理学を学んだ。わずか6歳年上の田丸卓郎からは初めてバイオリンをみせてもらった。寅彦は多趣味で、俳句は漱石から手ほどきをうけ、尺八をはじめ、西洋音楽にも興味をしめした。大正11年から弘田龍太郎(1892-1952)からバイオリンを本格的に習いだした。長男の東一は次のように回想している。
「上達の度合いはどうかというと、年をとってから始めたのにしては割合に上手になったのでははないかと思う。とにかくクロイツェル・ソナタでも何とか弾けるようになったのである。後年は藤岡由夫先生のチェロ、坪井忠二先生のビアノ、父のバイオリンで、トリオを試みたようであるが、はじめのうちは、ごくやさしいトリオの譜、主としてシューマンやメンデルスゾーンの小曲を編曲したものを仕入れてきて、子供たちと合奏して楽しんだ」とある。
寅彦はバイオリンのほかにピアノ、チェロ、オルガン、ホルン、アコーディオンなど弾いたという。
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(多分)はじめまして!
記事を参照させていただきました。
ありがとうございます。
投稿: やいっち | 2010年3月15日 (月) 21時25分