尾崎紅葉の妻
尾崎喜久(1872-1953)は明治24年、19歳のとき尾崎紅葉と結婚。新見藩の漢方医樺島玄風の娘で芝浜町の新見藩関氏の邸で育つ。だが紅葉は病弱で明治36年に亡くなる。当時は印税制が確立されていなかったので、たちまち収入が途絶えた。喜久子と子供は戦時下、千葉の片田舎でひっそりと暮らしていた。小学生の孫が新聞配達しながら家を助けてする。菊池寛がそのことを聞いて、出版社からなにがしの金を集めたという。昭和28年、喜久子は81歳で亡くなった。
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