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2010年11月30日 (火)

灰皿にテキーラ

   徒然草のなかで兼好法師はこう嘆いている。「世の中には、わけのわからないことが多い。なにか折りがあると、そのたびに酒を無理に飲ませておもしろがるが、どういうわけか。飲む人は、どうにもならないような顔をし、眉をひそめ、人の見ていないすきに酒をすてようとする。逃げようとしているのをつかまえて、むやみに飲ませたりすれば、すましこんだ人だって、たちまち狂人のようになって馬鹿げたまねをしでかし、元気な人もみるみる重病人のようになって、寝込んでしまう」今も昔も、酒のつきあいはむずかしい。

    当代随一の人気歌舞伎俳優の市川海老蔵が深酒のうえ顔面を殴打された事件が大きな波紋を広げている。当初、父・団十郎の会見では介抱していたらいきなり殴られたということだった。つまり26歳男性が加害者で、海老蔵は被害者という構図である。しかしその後の新証言が出てくるなかで両者の話に食い違いがでてきた。店の関係者は証言では、海老蔵が元暴走族のリーダーに絡んでいた様子で、海老蔵が髪を引っ張ったり、灰皿にテキーラを入れて、飲めと強要したりしたのがトラブルの原因だったともいう。弱い内弁慶がならず者がたむろする酒場であべこべにボコられたというお粗末な話だ。そんなとき西部では右手を切り落とされるが、歌舞伎役者だけに商売の顔面を狙われたのか。「灰皿にテキーラ」とは悪い酒の飲み方の典型。これから忘年会シーズンで酒の飲む機会も多くなるだろう。酒のつきあいはスマートにいきたいものである。

流行歌の当て字・当て読み

   子供のころよく歌った飯田久彦の「♪あの娘はルイジアナ・ママ」(ルイジアナ・ママ)「街角で別れたあの娘はいまどこに」(悲しき街角)。「あの娘」は「あのむすめ」とは読まない。「あのこ」と読む。だが「娘」という漢字を字引で調べても、「ニョウ」「ジョウ」という音はあっても、「コ」はない。つまり当て読みである。歌謡曲には当て字・当て読みは多い。谷村新司の「昴」に「宿命の星たちよ」とある。宿命を「さだめ」と読む。他の歌謡曲では「運命(さだめ)」が多い。よくある当て字は、理由(わけ)、故郷(くに)、男女(みょうと)、生命(いのち)、女(ひと)、幸福(しあわせ)、過去(むかし)、季節(とき)、瞬間(とき)、真実(ほんとう)、地球(ほし)、心臓(ハート)、失望(なやみ)など。歌謡曲の当て字の最初は、昭和8年の佐伯孝夫が作詞した「僕の青春」だろうか。「青春」を「はる」と読ませ、藤山一郎が歌ったところヒットした。

  永遠(とわ)も辞書には永久(とわ)とあるが、永遠(とわ)はない。歌謡曲でよく使われる当て字の一つである。

世界女優史 テレサ・ライト

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   テレサ・ライト(1918-2005)は日本でよく知られた女優である。小柄で心優しい清楚なイメージ。戦後に一挙に彼女の出演作が日本で公開された。「偽りの花園」「ミニヴァー夫人」「我等の生涯の最良の年」「打撃王」だがもっとも印象が残るのはヒッチコックの「疑惑の影」だ。先日テレビのヒッチコック劇場を見ていたら第44話「殺しの順番」に出演している。あの可憐な娘もすっかり年をとっていた。テレサは派手な世界を好まず、家庭を大切にしたため、大女優にはなれなかったが、家庭と役者を両立して、長く端役女優でキャリアをつんだ。

2010年の流行語

  街はクリスマスツリーが飾られ、今年もあとひと月。いろいろあった2010年の流行語を並べてみよう。wow factor ワオーと言わせるような要素、つまり「人を感動させるような要素」の意味。(今年でないものも混じっている)

北朝鮮砲撃
優しい嘘、残酷な沈黙
ウィキリークス(民間告発サイト)
灰皿にテキーラ
暴れるからよろしく
上海万博
シューカツ
イクメン
ワンピース
反日デモ
こども園
尖閣ビデオ
野球賭博
小沢隠し
K‐POP
生物多様性
パワースポット
耳かき殺人
無縁社会
電子書籍
挙党体制
断捨離
ダンシャリアン
悪しき隣人
リア充
チリ落盤
ツィッター
ブブゼラ
パウル君
龍馬
口蹄疫
腹案
小惑星探査機
これまでは仮免だった
ルーピー
ガラパゴス(ガラケー)
ゲゲゲの~
ネトゲ廃人
セカンドバージン
改ざん
名ばかり高齢者
モバゲー
せんとくん
はやぶさ
東京スカイツリー
反オバマ
茶会
一兵卒
普天間基地
業仕分け
いのちを守る
3D
生きもの会議
待機老人
年金パラサイト
ゴルコン
iPad
酷暑
平成の脱税王
核なき世界
ミイラ
貧困商法
(クロス)カップリング
~なう
ダダ漏れ
孤舟族
サスティナビリティ
のぼうの城
見える化(可視化)
終活
バイクコンシャスライフ
「21世紀枠に負けたのは末代までの恥」
なんで一段一段なんだろう
アジェンダ
さくらんぼ小学校
フェニックス
壊し屋
セクハラサイコロ
山ガール
ひこにゃん効果
モテキ
剛腕
AKB48
八ッ場ダム
白戸次郎もよろしく
女子会
「ととのいました」
家庭内野党
最小不幸社会
33人の奇跡
いい質問ですねぇ!
どや顔
ホメオパシー
検察審査会
食べるラー油
本田△
ヒヤリ・ハット
ベスト16
イラ菅
もってる、・・・ぜよ!
もしドラ
国技を潰す気か
岡ちゃん、ごめんね
2位じゃダメなんですか
答弁ふたつ
暴力装置
キュレーション
買い物難民
トイレの神様
世代間格差
「支持率1%でも辞めぬ」
血みどろ帰宅
泥酔バトル
「キミ、給料いくら?」
甘受していただきたい

 

2010年11月29日 (月)

述べて作らず

    このブログの記事の基本は「述べて作らず」。事実をありのままに述べて、既知と未知とを明らかにする。新聞記事は基本的に「述べて作らず」だろう。「講釈師見てきたような嘘をいい」というが、小説家でも司馬遼太郎や松本清張はフィクションながらも、事実や真相究明にベクトルが強く向いている。まず事実を徹底的に究明するのが信条のようで膨大な情報収集、その結果として何万冊という個人蔵書を必要としていた。ネット時代の現代の作家はそれほど蔵書を必要としないかもしれない。司馬遼太郎や松本清張が、もしネット時代に生きていたらどのような作品を残こしただろうか。

にがり 英語で何という?

   海水から食塩を析出させたあとの残液を「にがり」という。豆腐の凝固剤などに用いられる。苦汁(くじゅう) bittern

名づけは親から子への、最初の贈り物

   愛する赤ちゃんに素敵な名前をつけるため知恵をしぼっている親は多い。明日から改定常用漢字表も内閣告示され(2136字)、これまでになかった個性的な名前も使えるようになる。原則的には常用漢字、人名用漢字、カタカナ、ひらがなであればどんな名づけも可能となる。しかし1993年に東京都昭島市で起きた「悪魔」くんの例のような問題も発生することも懸念される。現在も国は「明らかに不適当な命名」の基準は示しておらず、自治体窓口で出生届で対応に苦慮するケースが生じる恐れがある。かつて人名用漢字から外された「怨」「呪」「骸」など34字も復活する。すべては親の一存にゆだねられる。熱烈なタイガースファンのダンカンは長男を「甲子園」、次男を「虎太郎」と名づけた。親権乱用とみるか、ほほえましいとみるか、意見の分かれるところだ。また1972年に生れた子供に「角栄」と命名したが、その後、田中角栄がロッキード事件で逮捕されたりして、からかいの対象となったという話がある。名づけは親から子への最初の贈り物で、基本的にはパパ、ママが本当に気に入ったのなら素敵な名前ですが、将来イジメやからかいの対象にならないよう念には念を入れて慎重に良い名前を考えてあげてください。

2010年11月28日 (日)

世界女優史 キャサリン・ロス

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    アメリカ映画界でニューシネマが登場したとき、女優としては、フェー・ダナウェー、キャサリン・ロス、キャンデス・バーゲン、ミア・ファーローたちが人気があった。もちろん彼女たちはニューシネマ以前から女優として活動しているし、ミア・ファーローなどはテレビ「ペイトン・プレイス物語」で人気スターだった。ミア・ファーローやキャンディス・バーゲンはハリウッド・セレブに属していたが、キャサリン・ロスは10代のころ地方劇団で演技をおぼえ、20代はじめはTVの端役に出演していた。昨夜みた「ヒッチコック劇場」第41話「戦慄の金庫」は金庫泥棒をする青年の恋人役だった。「卒業」のエレンのように都会的な美しさはなく、田舎の素朴な娘という感じ。だが目や表情がとてもよく、やはり5年後、人気女優となる片鱗をうかがわせる。20歳前後だろう。キャサリン・ロスは日本でもとても人気のあった女優であるが、出演作は意外にすくなく、「シェナンドー河」「卒業」「夕陽に向って走れ」「明日に向って撃て!」と公開当時に立て続けに見た。1940年生まれというから、「卒業」のときはすでに27歳になっていたのだ。

2010年11月27日 (土)

世界女優史 ソニア・ペトローヴァ

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   アラン・ドロンの「高校教師」(ヴァレリオ・ズルリー二監督、1972年作品)が日本で公開されたのは昭和48年10月のこと。ドロンの人気絶頂で職場の若い女性が見に行きたいといっていたのを思い出す。名門の家庭の出身ながら、ある暗い過去を持つ人生に投げやりになっている不良教師(アラン・ドロン)と薄幸の女生徒(ソニア・ペトローヴァ)。二人は激しい恋に落ちるが、悲しい結末に終わる。

   ソニア・ペトローヴァの冷たく冴えた美貌、冬の湖を思わせる瞳は強烈な印象が残った。1952年生れ。映画作成時、19歳だった。出身地はフランス・パリ。出演作は「高校教師」とヴィスコンティの「ルードウィヒ神々の黄昏」ほか数本。ペトローヴァはバレリーナだったが、カンヌ映画祭で実験的小品に出ているところを、ヴィスコンティに見出されて映画界入りしたらしい。デビューそこそこでズルリー二、ヴィスコンティという名監督の作品に出演したが、演技的基礎がなかったためだろうか、消えていったが、その美しさは永遠に記憶に残る。

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人気者、心に油断あり

   市川海老蔵が西麻布で泥酔して暴漢に殴られたと思ったら、オバマ大統領がバッスケットボールのプレー中に、くちびるに12針のけが。今年、「龍馬伝」で活躍の福山雅治がマダガスカルで食あたり。お気の毒な災難ながら、一度自らの行動に間違いはなかったか、自己点検してみる必要がありそうだ。海老蔵・麻央の結婚式。ある友人のスピーチで海老蔵さんは初対面で、「キミ、給料いくら?」と聞くとばらしてましたが、何事も人の価値を金ではかる人のようだ。お天道様はちゃんとみているぞ。奢れるものは久しからず。ご用心召され。

紙資料の運命

   大阪府の橋下徹知事が非効率として指摘した府立特許情報センターが来春に廃止される。明治以来収集してきた資料も大半は年明けにも溶かして処分される。トップの判断で100年以上続いた営為も無駄になるとは恐ろしい。大阪に限ったことではなく紙資料の廃棄は全国的な勢いで進行している。家庭の断捨離は結構だが、図書館や資料館などのオンリー・ワンの資料を廃棄するのは暴挙である。一つには図書館の保存機能を重要視して来なかったことにある。資料保存は図書館法にも定められた責務である。戦後図書館関係者の責任放棄といってもよい。旧聞になるが関西ではこんな噂があった。神戸在住の作家、陳舜臣が阪神淡路大震災のあと自分の蔵書を神戸市立図書館に寄贈しようと申し出たところ、図書館では保存スペースがないといって断わったという。結局、いま東京の早稲田大学にある。陳舜臣は神戸にゆかりのある作家でおそらく資料は関西にあれば有効に生かせたと思うが、いまさらながら残念な話である。神戸市がだめなら、県立とか、北部にある新設の図書館でスペースに余力のある館を探すなりすればよかっただろうに。あとの祭りではあるが、いかに兵庫県図書館協会や図書館間の連絡や共同体制がとれていないか、図書館人に無策に人が多いか、ということである。

トイレの掃除にサンポール

   植村花菜ちゃんが歌う「トイレの神様」。年末には歌いながらトイレのお掃除をする人もおおいだろうし、日本のトイレがこの曲のヒットでだいぶん綺麗になると思う。トイレには綺麗な女神様がいて毎日綺麗にお掃除すれば女神様のようにベッピンさんになれると歌っている。妻の生れ育った地方(大分県)ではトイレには神様がいて綺麗に掃除していれば子宝に恵まれるとか下の病気にならないと言われているそうである。地方によって異なるようだ。ともかくトイレ掃除にはトイレ用洗剤が必要。やっぱり定番はサンポール。しかしサンポールは酸性なので他の洗剤と混合すると化学反応を起こし有害の塩素ガスを発生する。まぜるな危険。それに幼児が誤って飲まないよう、手の届かない場所に置いておくことも必要だ。

2010年11月26日 (金)

アプレゲールと国家主義

    戦後、アプレ・ゲールという言葉が流行した。広辞苑によると「第一次大戦後、フランスを中心として興った文学上・芸術上の新しい傾向。日本では第二次大戦後、新しい文学を創造しようとした若い著作家の一部をいう。転じて、第二次大戦後の放恣で退廃的な傾向にもいう」とある。

    戦後、真善美社という小さな出版社があり、戦後文学のいくつかの注目すべき作品を出版している。例えば、埴谷雄高の「死霊」(昭和23年10月)や安部公房の「終りし道の標べに」(昭和23年10月)などである。真善美社の社長は中野達彦という人である。父は中野正剛(1886-1943)、母は三宅多美子で三宅雪嶺(1860-1945)、三宅花圃(1868-1943)である。つまり中野達彦は明治の代表的なナショナリズムの評論家を義父にもち、大正・昭和の政治家を父として、国家主義的な環境のもとで育った。ところが、戦争末期の昭和18年、中野正剛は東条倒閣運動の首謀者として検挙され、割腹自殺する。祖父の三宅雪嶺も昭和20年11月26日、中野達彦の自宅で85歳で没する。中野達彦は戦後、出版社をつくるが、その名称は祖父の三宅雪嶺の代表作「真善美日本人」に因んで「真善美社」とつけられた。ところが出版される内容は三宅雪嶺や中野正剛の思想とは大きくことなるものだったようだ。たとえば、埴谷雄高の思想遍歴をたどるとスティルネルふうなアナーキズムからマルクス主義、共産党、転向と変遷するものの国家主義的なものとは無縁といえる。

   安部公房は昭和22年、戦争中の体験を踏まえて書いた「粘土塀」と題した処女長篇を成城高校時代のドイツ語担当教員・阿部六郎に読んでもらた。阿部は、この作品を埴谷に送り、「粘土塀」の内の「第一のノート」が昭和23年10月に「個性」に掲載された。昭和23年10月に「終りし道の標べに」が真善美社のアプレゲール新人創作選9の一冊として出版されるにあたり、「第二のノート」以下の部分も書き加えられて出版された。埴谷や安部の難解な作品論は別として、ともかく哲学的であり戦争が作品に影響していることは間違いないであろう。ちなみに野間宏、梅崎春生、椎名麟三、中村真一郎を第一次アプレゲール作家とされたことがある。真善美社の「アプレゲール叢書」と名づけたのは中村真一郎だといわれている。

   真善美社の中野達彦の詳しい生涯は知らないが、国家主義とアプレというまさしく戦後の混乱期を体現したような人物であろう。

2010年11月25日 (木)

タマラ・プレスは男性なのか?

    1964年、94ヵ国から若者たちが東京に集まり、より高く、より速く、より強く、をめざしてアジアで初のオリンピック競技大会が行われた。あれから46年。遠藤幸雄(2009年)、木原光知子(2007年)、猪熊功(2001年)、神永昭夫(1993年)、猫田勝敏、依田郁子(1983年)、山田宏臣(1981年)、そして1968年に円谷幸吉が亡くなっている。マラソンの王者アベベ・ビキラは1972年に亡くなり、ヘーシンクも今年亡くなった。陸上男子100mのボブ・ヘイズも2002年に59歳で亡くなっている。体操のシャハリンは2008年、投擲のイリーナ・プレスは2004年に亡くなっている。姉のタマラ・プレスと共に姉妹あわせて5つの金メダルをとっている。ところで東京大会では性別検査はまだなかった。プレス姉妹には男性ではないかという疑惑がある。性別検査が取り入れられるようになって姉妹(兄弟?)は国際大会から姿を消した。両性具有者か男性ホルモンを注射していたのか、疑惑があるという。はたしてタマラ・プレスは女性なのか、男性なのか。名前の「タマ」がちょっと気にかかるところだ。棺を覆いて事定まる。

煙管を折るの記

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    吉田松陰自賛肖像 松陰神社蔵

    松下村塾の最も早い入門者の一人として増野徳民(1841-1877)がいる。安政3年11月25日には、増野に連れられて吉田稔麿((1841-1864)が入塾する。続いて近所の魚屋り息子松浦松洞(1837-1862)が入り、塾らしくなってきた。吉田松陰(1830-1859)は徳民に「無咎」(むきゅう)、松洞に「無窮」(むきゅう)、稔麿に「無逸」(むいつ)と名づけ、三人を「三無生」と親愛の情を込めて呼んだ。松陰が野山獄に入れられた時、三無生は釈放の活動をした。

   当時のエピソードに、「煙管を折るの記」(安政4年9月)が知られている。ある日、タバコを吸っている塾生の話になると、松陰は嫌な顔をした。それに気づいた稔麿は、その気まずさから煙管を折り、禁煙を宣言する。すると全員がそれに従った。その場にいなかった高杉晋作も翌日、話を聞き、禁煙の難しさを自分の経験で諭し、励ました。塾生たちと松陰との師弟関係が伝わってくる話である。松浦松洞が描いた松陰肖像画にも師への敬愛がうかがわれる。

8メートルの壁

    陸上競技は順位を競う競技であるが、たとえ4位で敗れたとしても、勝敗以上に記録が重要な意味をもつことがある。現在、男子走幅跳の世界記録はマイク・パウエルの8m95(1991年)である。この記録は20年近く更新されていない。日本記録は森長正樹の8m25(1992年)。日本ではむかし8mの壁といわれていた。南部忠平がマークした7m98を39年間、誰も破ることができなかった。山田宏臣が1970年に8m01をマークし日本記録を作った。山田は東京五輪、メキシコ五輪に出場したが9位に終わった。しかし山田は8mの壁を破った男として陸上界ではその名前は現在でも知られている。

紅白歌合戦の謎

    年末恒例のNHK紅白歌合戦の出場歌手が発表された。当落は歌手人生をも左右するといわれる。今年は放送時間が15分短縮されたこともあって、ベテランの美川憲一が落選した。植村花菜の「トイレの神様」(9分52秒)ノーカット放送が影響したのかもしれない。最多出場は北嶋三郎の47回。北嶋の大先輩ともいうべき田端義夫が僅か2回というのも不思議である。岡晴夫は一度も出場していない。大物歌手のなかには紅白辞退という変わり者もいる。宇多田ヒカルが典型であろう。むかしは意外な女優もマイクを持って出場している。轟夕起子、乙羽信子など。逆に歌手から女優として成功した人で紅白出場なしという人もいる。浅野ゆう子は紅組の司会をつとめたが歌手としてのステージはなし。薬師丸ひろ子もゲスト審査員などで2005年、2007年に出演しているがステージはなし。女優として活躍している永作博美もribbon時代の出場はなかった。むかしは海外からの大物アーチストが出場する(アンディ・ウィリアムスなど)などもあったが、最近は経費節約傾向にある。国会議員で紅白出場経験のある人(司会の高橋圭三、宮田輝は除く)は三原じゅん子。江利チエミは「テネシー・ワルツ」を一度も歌ったことがなかった。たかが紅白、されど紅白。

2010年11月24日 (水)

人気スター不在の洋画界

    洋画雑誌SCREEN1月号付録のトップスターズカレンダー12人の顔ぶれを見る。とくに新鮮な感じはない。ハリソン・フォードやトム・クルーズやレオナルド・ディカプリオは無し。男性はロバート・パティンスン、ジョニー・デップ、ダニエル・ラドクリフ、ザック・エフロン、ブラッド・ピット、キアヌー・リーブス、女性はキャメロン・ディアス、ナタリー・ポートマン、アンジェリーナ・ジョリー、エマ・ワトスン、クリステン・ステュワート、ミラ・ジョヴォヴィッチである。もちろんカンレンターの顔に選ばれたから人気があるというものではないが、一応の目安にはなるだろう。男性は若手と中堅にはっきりと分かれる。ジョニー・デップ、ブラッド・ピット、キアヌー・リーブスはほぼ同じ世代47か46歳くらいだ。男優としての盛り。もちろん世界的なトップスターではあるが、なんとなく花が感じられない。かってアラン・ドロン、スティーヴ・マックイーン、チャールズ・ブロンソンがトップスターだった1960年代から70年代はSCREENももっと売れていた。書店でも韓流誌のほうが目立つ場所にある。やはり洋画のスターは不在の時代なのだろう。

セカンドバージンの離婚理由

   NHKのドラマ「セカンドバージン」が話題をよんでいるらしい。仕事一筋に生きてきたキャリア女性が若い有能な男性と出会い恋におちる。女性の側からのドラマということが新鮮なのだろう。これまで中年の男性が若い女性の色香に迷い堕落していくというパターンはあった。古くは「嘆きの天使」、日本では志村喬の「牝犬」などが典型である。谷崎潤一郎の「痴人の愛」もその類であろう。これらは美しい女性を女神と讃えたファム・ファタールだった。ダンサーだったりレビューの踊子だったり脚線美が映画の視覚的効果となる。「セカンドバージン」はテレビではあるし、しかもNHK、エロスや過激な性描写に関しては新鮮味はないし期待できない。使い古されたテーマではあるが、現代的キャリア女性もまだ愛に対して自由奔放に生きることの困難なことをドラマとして描くことに興味がそそがれるのだろうか。正妻が悪女として描かれていることに違和感を抱く人もいるかもしれない。ドラマの設定では失楽園ほどに夫婦関係が壊れてなくて、金融王子の夫婦関係は普通であって、離婚理由が性格の不一致以外には見出せないのも特徴的である。

2010年11月23日 (火)

トイレの神様

   亡き祖母への想いを歌った植村花菜の「トイレの神様」を初めて聴く。NHK歌謡チャリティコンサート。これまでも肉親の死を扱った歌は多い。武田鉄矢、さだまさし、平井堅、秋川雅史のように名曲誕生の瞬間は一度聞いても心に突き刺さる。メロディーも残る。オーケストラをバックの熱唱だった。おそらく全国で何万人の人がテレビを見て同じ時間に「なんていい曲なんだ」と素直に感じているだろう。平凡で当たり前の素直な言葉が人を感動させる力がある。植村花菜はベテラン揃いの上手い歌手を相手に一番輝いていた。クミコ、新妻聖子など女性歌手も印象的だった。

「流れ星」泣けました

    涼太(桐山照史)がとうとう死んでしまった。番組の流れでこうなるのはわかっていたが、そのときが速くきた。死の間際までマリア(北乃きい)のことを思っていた。なんてかっこいいんだろう。ところで健吾(竹之内豊)と梨沙(上戸彩)との恋はほとんど進展しない。ラストで健吾の婚約者だった美奈子(板谷由夏)が「私がドナーになります」という。この先どうなるんだろう。臓器移植や家族愛がテーマだけれど、登場人物の心理がよくわかり感情移入できる。コブクロの「流星」もいい。

小百合の事物由来日記

  勤労感謝の日。パパと遊園地へ行ってきました。小百合のパパは小林旭のように格好いい男です。帰りにパパと電車に乗っていたら、パパが痴漢を捕まえました。暴れまわる痴漢に得意の回し蹴りでノックアウトさせ、駅員に痴漢を引き渡しました。でも痴漢と格闘したあと、パパの額を見ると、なにやら髪にズレが…。パパの秘密を見てしまいました。

    ところで鬘は英語で「wig」(ウィッグ)といいます。鬘の使用は古代オリエントにも見られ、エジプトでは鬘をつけたミイラが発見されています。この風習は古代ローマにもひきつがれ、たとえばオウィデウスは、現在のドイツ地方から輸入された金髪が鬘用としてローマの夫人に最も好まれたと記しています。17世紀フランスではルイ13世が自ら使用したことから、宮廷で男女ともはなやかに鬘をつけるようになりました。でもこのような風習もフランス革命以後は消滅するようになりました。

バンコク大会の金メダリスト佐藤美保選手は今・・・?

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    広州アジア大会陸上女子100mで福島千里が優勝した。実にバンコク大会の佐藤美保から44年ぶりの金メダルである。福島のタイムは11秒33だが、1966年の佐藤のタイムが知りたいと思ったが新聞には無かった。ネット情報では佐藤のタイムは12秒3とある。当時のアジア大会は日本勢の独壇場で金メダルは当たり前だったろう。佐藤美保の記憶もない。ネットで調べたが佐藤美保のことは中央大学の学生としかわからなかった。アマチュア・スポーツのデーターベースは立ち遅れているのだろうか。44年前の佐藤美保は今、時の人である。ちなみに女子100mの世界陸連の記録は、ジョイナーが1988年に出した10秒49である。

2010年11月22日 (月)

パンとペン

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    新聞広告で気になったがまだ買っていない本がある。「堺利彦評伝 パンとペン」である。著者の黒岩比佐子(1957-2010)という名前はここ数年、注目していた。「村井弦斎」「編集者国木田独歩の時代」「明治のお嬢さま」「古書の森 逍遥」と続々と刊行していた。ブログ「古書の森日記 古本中毒症患者の身辺雑記」をみて執筆活動、講演会、そして闘病とリアルタイムに彼女の活動がわかる。若くてこれから活躍される人だっただけに惜しい。この11月17日、膵臓がんで52歳の若さで他界された。つつしんでご冥福を祈ります。

答弁ふたつでいい

    流行語大賞のエントリーがそろったところで、また新しい流行語が生まれた。「答弁二つでいい」。柳田稔法相辞任。「もう少し早ければ流行語大賞になったのに」と柳田法相悔しがり。

    国会議員は気楽な稼業。柳田によれば、答弁はふたつでいい。「個別の事業についてはお答えを差し控えます。あとひつとは、法と証拠に基づいて適切にやっている」こんな話を14日に広島市で席上、得意げにやらかしたらしい。もう言葉もなくあきれはてる。国会は討議する場という認識はなく、のんべんだらりと受け流せばおさまると考えている。むかし植木等は「♪サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ」と歌って世間の笑いをさそったが、あれは民間なのでそんな企業は倒産するだろうが、話として許せる。しかし国会議員、しかも法務大臣とあれば、怒りがこみ上げる。国会軽視ということだが、つまりは国民軽視、いやそれ以上に国民を馬鹿にした発言だし、つまりは行動もその程度のことしかしていなかったということだろう。

2010年11月20日 (土)

ヒッチコック劇場

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    ヒッチコック劇場(ANXミステリーで放送中)の多彩なゲスト・スターを見るのが楽しみである。先日の回にはアン・バクスター(1923-1985)が登場していた。40歳前後であろうか。若いジョージ・シーガルに入れあげる中年の女性役だった。「イヴの総て」(1950)や「十戒」(1956)が映画の代表作だが、1940年代が綺麗だった。戦争のため未公開の作品が多いので日本では知られることが少なかった。男性陣はスティーヴ・マックイーン、ロバート・レッドフォード、ギルバート・ローランド、レイ・ミランド、クリストファー・リーら大物スターからバリー・モース(逃亡者のジェラード警部)、テリー・サバラス、ギグ・ヤング、ディック・ヨーク(奥様は魔女のダーリン)、リチャード・ベースハート、ロバート・カルプ、ロディ・マクドウォール、マーチン・ランドーなど顔なじみの俳優が出ている。なぜか刑事コロンボでの犯人役が多い。女優ではグロリア・スワンスン、ヴェラ・マイルズ、バーバラ・ベル・ゲデス、ジョーン・フォンティン、アン・フランシス、キャロル・リンレー、キャサリン・ロス、ジャクリーン・スコット(逃亡者キンブルの妹)など。

秋の夜長を映画で過ごす

   「ジャガー・ノート」ハリウッド映画が低迷していた頃、「ポセイドン・アドベンチャー」(1972)という豪華客船が転覆するパニック映画が大ヒットした。数年後、イギリスで「ジャガー・ノート」(1974)という豪華客船の映画があったが、人に聞くとあまり面白くなかったというので見ずにいた。オマー・シャリフ、リチャード・ハリス、デビッド・へミングス、アンソニー・ホプキンス、シャーリー・ナイトと一応豪華キャスト。ブリタニック号に爆弾7個が仕掛けられた。20時間後に爆発するという予告がある。爆発処理班が船内に乗り込み、危険な作業に当たる。パニック的なスピード感や人間ドラマは少ない。やはりイギリスらしい作品。ジャガーノートjuggernaut とは止めることのできない巨大な力、圧倒的破壊力の意味。★

   刑事コロンボ46話「汚れた超能力」(1989)新シリーズ第1作。犯人の超能力者ブレイク(アンソニー・アンドリュース)はユリ・ゲラーがモデルといわれる。一方、マックス・ダイソン(アンソニー・ザーブ)は超能力者バスターとして有名に奇術師ジェームズ・ランディがモデルと思われる。★「狂ったシナリオ」はSFX映画の若き監督が旧友を感電死させる犯罪。芝居がかったトリック解明はコロンボらしくない。スピルバーグがモデルと思われる。★

   丘を越えて(2008)高橋伴明監督 西田敏行 池脇千鶴 西島秀俊 余貴美子。菊池寛生誕120年を記念して製作された映画。原作者の猪瀬直樹も直木三十五の役でワン・シーン出演。テーマが池脇千鶴の自立を描くのか、西田敏行の女好きを描くのか、はたまた朝鮮の近代化をめざす青年の話なのか散漫にままにおわり、見事なまでの失敗作。葉子は映画評論家の小森和子ではなく作家の佐藤碧子(1912-2008)がモデル。佐藤は1950年に小磯なつ子のペンネームで書いた「雪化粧」が直木賞候補になっている。★

  宇宙人東京に現わる(1956)小国英雄の脚本。南部彰三、目黒幸子、川崎敬三、山形勲、苅田とよみ。パイラ人は地球に友好的だった。「未知との遭遇」「ET」よりも前にSF映画があったことを評価。★★

   燃えろ!太陽(1967) 「でっかい太陽」の続編。酒井和歌子の妹役で吉沢京子(当時13歳)がでている。★

   鍵(1959) 谷崎潤一郎の小説を鬼才市川崑が映像化。初老を迎えた中村鴈治郎と若い妻・京マチ子、娘の叶順子、医師の仲代達矢の4人の複雑な関係。4人がみな死ぬという結末も奇抜である。昭和30年代「ビルマの竪琴」「炎上」「野火」「おとうと」「ほんち」と市川崑は油が乗っていた。★★★1/2

   「スパイダーマン2」(2004) トビー・マグワイア キルステン・ダンスト アルフレッド・モリナ ★

  「ラーメンガール」(2009) 主演のブリタニー・マーフィはこの映画の後、2009年9月に32歳の若さで亡くなっている。★

  「うた魂♪」(2008) 夏帆 薬師丸ひろ子 ゴリ ★

  「インディ・ジョーンズ、クリスタル・スカルの王国」(2008)スティーブン・スピルバーグ監督 ハリソン・フォード シャイア・ラブーフ ケイト・ブランシェット カレン・アレン ★

  「吾が輩は猫である」(1975) 仲代達矢 伊丹十三 島田陽子 ★★

  「ラストラブ」(2007) 田村正和 伊東美咲 ★ 子供の森迫永依は大河ドラマ「功名が辻」で山内一豊の長女、与祢(よね)を演じた。

  「ファイヤーウォール」(2006) ハリスン・フォード ★

  「ノッティングヒルの恋人」(1999) ジュリア・ロバーツ ヒュー・グラント ★★

  「チームバチスタの栄光」(2008)竹内結子 阿部寛 ★★★

 「Life 天国で君に逢えたら」(2007) 大沢たかお 伊東美咲 川嶋海苛が13歳、娘役で出演。大沢は2000年以降30本近くの映画に出演、近作は「桜田門外ノ変」。38歳で他界したウィンドサーファー飯島夏樹の役。★★

  「女が階段を上る時」(1960) 成瀬巳喜男監督 高峰秀子 森雅之 仲代達矢 団令子 淡路恵子 加東大介 小沢栄太郎 中村鴈治郎 多々良純など豪華な配役である。銀座のママの風俗を庶民的な味で描く。黛敏郎の洒落たジャズも効果的。高峰が最高。★★★★

  「ひまわり」(2005) キム・レウォン キム・へスク ホ・イジェ ★★

  「101」(1996) ジェフ・ダニエルズ ジョエリー・リチャードスン グレン・グロース ★★

  「バルカン超特急」(1938) マーガレット・ロックウッド マイケル・レッドグレイヴ ★★★ 列車の密室事件。マーガレット・ロックウッドは1990年に死亡している。

  「霧に消えた人」(1962) 浅丘ルリ子 二谷英明 葉山良二、円地文子の原作らしい文芸物★★

  「トワイライト初恋」 (2008) ロバート・パティンソン、クリステン・スチュワートは「パニック・ルーム」でジョディ・フォスターの娘だった子。ほかテイラー・ロートナー、ダコダ・ファニングなどこれからのスターが登場。★★

  「おくりびと」(2008) 滝田洋二郎監督 本木雅弘 広末涼子 余貴美子 山崎努 ★★★★

  「カフーを待ちわびて」 (2009) 玉山鉄二 マイコ ★★

  「ハリー・ポッターと秘密の部屋」(2002) ダニエル・ラドクリフ ルパート・グリント エマ・ワトソン ★★

  「PARIS(パリ)」2008 ジュリエット・ビノシュ ★★

オランダとイラク

   オランダの面積は4.2万k㎡、人口1640万人。イラクの面積はオランダの10倍、43.8万k㎡、人口3030万人である。一見すると両国の共通点はみあたらない。実は両国とも「低地」という同じ意味の国名である。オランダは15世紀初頭、マース河口部の干拓地の地名にすぎなかったが、少し北にあるロッテルダム北方の低地に転用された。これがホラント地方の由来であり、1581年、ネーデルランド連邦共和国を樹立した。しかし新共和国は、ホラント(低い土地)と俗称されることが多かった。イラクは7世紀にアラブ人が侵入したが、この地を「アラビア低地」と呼んだ。現在の国名イラクは、このイラク(低地)を国号としたものである。

2010年11月19日 (金)

名画の中からイケメンをさがす

Photo_2 ラファエロ「ビルド・アルトビッティ」1515年

    ラファエロは聖母子ばかり描いていたわけではない。注文があれば男性も多く描いている。その中でも際立つ名品が「ビルド・アルトビッティ」(ワシントン国立美術館)である。振り向きざまの貴公子はフィレンツェの銀行家。年齢は25歳くらい。アルトビッティ家が19世紀まで所蔵していたが、バイエルンのルードウィッヒ王が購求し、現在はアメリカにある。それにしても近代的な風貌は女性ギャラリーをいまでもうっとりさせているとか。

後宇多天皇と元寇

   蒙古襲来の時の天皇は誰か?調べると後宇多天皇(在位1274~1284)。ところがまだ文永の役のときが7歳、弘安の役のときが14歳で、実際は父の亀山上皇の院政時代である。後宇多天皇は亀山天皇の第2皇子で、母は洞院実雄の娘京極院佶子。誕生の翌年、持明院統の後深草上皇の2皇子をさしおいて立太子、7歳で即位した。在位14年で後深草天皇の第1皇子、伏見天皇に位を譲った。両統迭立時代で、後二条天皇と後醍醐天皇を即位させ、1301年から1324年まで大覚寺で院政をとったので、この系統を大覚寺統という。享年58歳。後醍醐天皇はその次男。

天明から文化・文政期の俳人たち

Photo 小林一茶の墓

    西田敏行の「おらが春」(平成14年正月ドラマ)を見る。小林一茶(1763-1827)は3歳で生母に死別し15歳で江戸に出て流寓生活を送る。51歳で郷里柏原(現・長野県上水内郡信濃町)に帰住し結婚するが、三男一女を相次いで失い、妻とも死別する。そののち2度目の結婚にも失敗し、3度目の妻との間に生れた一女が血統を今に伝えている。文政10年(1827年)6月柏原の大火に家を焼失し、11月19日焼け残りの土蔵で没した。一茶の門人には佐藤魚淵、村松春甫、住田素鏡、松井松守、西原文虎など数多いが、いずれも地方俳人の域を出なかった。ドラマで杉浦直樹演じる夏目成美(1746-1816)はいかなる人物であろうか。成美(せいび)は江戸浅草蔵前の札差で、6代目井筒屋八郎右衛門。本名は包嘉、別号は随斎、四山道人などの号がある。社会的地位が高かったため、大島蓼太、加舎白雄、加藤暁台、高井几董、旧国(大伴大江丸)、建部巣兆、岩間乙二らと親交があった。とくに一茶とは保護的な立場にあって親交があった。右足が不随のためほとんど旅行することはできなかったが、俳諧を楽しんだ遊俳であった。

2010年11月18日 (木)

徳川家宣

    5代将軍綱吉の甥にあたり、将軍世継の有力候補だった甲府綱豊が西の丸入りしたのは宝永元年で時に綱豊は43歳だつた。この西城入りと同時に名を家宣と改めたが、家宣の将軍就任はそれより5年後、48歳のことで当時としてはもう老年の部類に入る。綱吉の晩年は世継ほしさに迷信に陥った上に、生類憐の令によって処罰される人間が多かったため、不評であった。このほか綱吉の施政には金銀貨の改悪や運上金の割当てのような悪政があった。家宣は矢つぎばやに前代の悪政を改めるとともに新政を打ち出していくが、手始めが生類憐みの令と粗悪な銅貨十文銭との廃止である。ついで酒運上、箔運上をやめ、風俗取締令を下すという状況だった。理想主義の新政治は次第にその本領を発揮しつつあったが、不運なことに家宣は正徳2年10月、事業半ば51歳にしてその生涯を閉じた。

接着剤の歴史

   接着剤の歴史は意外と古く、中国では前4000年から、エジプトでも前3000年ごろから使われていたらしい。それは接着剤を用いた棺、家具、工芸品が出土しているからである。接着剤は動物や魚の膠、牛乳の凝固物などである。しかし最近では旧石器時代のハンターたちが接着剤を使って矢じりや槍先を軸に取り付けていたことがわかった。これらの接着剤は現在のホームセンターに並んでいるボンドと変わらぬ強度があるという。接着剤は動物の脂とアカシア樹脂と砂を混ぜてある。

睡眠不足は風邪のもと

    一晩の睡眠が平均7時間以下の人は、8時間以上の人に比べて3倍近く風邪を引きやすいという結果がでているそうである。睡眠と免疫系との関係はこれまで実証されているが、睡眠が風邪ウイルスに対する抵抗力と関連することがわかった。一晩ぐっすり眠れたら、朝から体調がいいのは誰しも経験すること。でもストレスでなかなか眠れない人も多い。例えば、その日あった嫌な出来事や明日の仕事のこと、日ごろの心配事などが、布団に入ってからも頭から離れず、ついつい考え込んで寝つけなくなる。眠気はリラックス状態で起ってくるもの。夜は自分にあったリラックス方法で過ごすことだ。例えば、音楽を聴く、気楽な内容の本を読む、アロマテラピーを楽しむ、ハーブティーを飲む、など自分に適した方法を日常の中に取り入れるとよい。

2010年11月17日 (水)

お宮の松

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  尾崎紅葉の「金色夜叉」は明治30年から明治35年まで、読売新聞に断続6年にわたって連載され評判になった小説である。すぐに新派劇に脚色され「金色夜叉・熱海海岸の場」として、明治31年初演され、たちまち人気を集めた。この新派劇をもとにして、演歌師宮島郁芳が「金色夜叉の歌」をつくり、この歌もたちまち全国に流行した。

 熱海の海岸散歩する 

 貫一お宮の二人づれ

 共に歩むも今日限り

 共に語るも今日限り

あまりにも有名になったので、熱海の有志の人々が小栗風葉の「宮に似たうしろ姿や春の月」の句を刻んだ碑を、大正8年に建てた。この老松がお宮の松と呼ばれ、熱海の新名所となった。昭和24年のキティ台風で道路が傷み、海岸に伸びた枝を切ったりしたため、車公害でとうとう老松は枯れてしまった。現在のお宮の松は、昭和41年、二代目お宮の松として、碑とともに移されたものである。

セカンドバージン

    NHKドラマ「セカンドバージン」は大石静の脚本だけに面白い。登場する人物は社会的地位があり、お金があり、若さと美貌が備わっている。だがすべてが満たされているが、何か不満を感じている。今の普通の人なら少々の不満があっても、自分の境遇に満足して、状況を変えることをしないだろう。だがヒロイン中村るい(鈴木京香)と鈴木行(長谷川博巳)は困難な状況を越えて真実の愛を選んだ。だがその代償は大きいだろう。2人の結末は厳しいものを感ずる。やはり「失楽園」のパターンになる公算は大である。だがドラマだからドンデン返しがあるかもしれない。しかしやはりフランクリンの格言を思い出さずにはいられない。

「貧しい人でも満足すれば富み、富んでいる人でも満足しなければ貧しくなる」

2010年11月15日 (月)

孔子が密に尊敬した彭祖とは如何なる人物か

   論語述而篇に、

子日く、述べて作らず、信じて古を好む。竊に我が老彭に比す

   とある。ここに出てくる「老彭」というのは、鄭玄の注では老子と彭祖の2人とある。しかし老子説は今日否定されている。ここでは彭祖を尊んで「老彭」と呼んだとみるべきだろう。大戴礼の説では「殷の賢大夫。好んで古辞を述べる」とある。

    後世の道教の世界では彭祖は房中術の祖とされる。さまざまな丹薬を研究し、700歳まで生きたという。外見はまるで青年のようで、名声を求めず、のんびりとした生活をしていた。殷の王が、彼を大臣にしようと、采女を使者として派遣した。彭祖は男女の房中術を伝授し、王に伝えた。王はさっそくその房中術を試みたところ、それが素晴らしい効果があった。そして王は自分ひとりじめするため、彭祖の術を伝えるものは死刑に処するという命令を出した。そして彭祖その人まで殺そうとした。それを知った彭祖は行方をくらました。殷王はしばらく後に鄭の国から絶世の美女をめとった。彼女があまりに美しいので、王は彭祖の教えを破って淫にふけり、結局は道を失って死んでしまった。もとろんこのような話は孔子の後でつくられた話であろう。孔子が敬愛した彭祖の実像は誰にもわからない。

2010年11月14日 (日)

韓国の日本ブームは?

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    躍進著しい韓国映画界だが、日本の作品を原作とするものも多い。チェ・ミンシクの「オールド・ボーイ」(2003)は土屋ガロンのコミックで「パイラン」(2001)は浅田次郎の「ラブレター」が原作だった。ソン・イエジンの「私の頭の中の消しゴム」(2004)はドラマ「Pure Soul~君が僕を忘れても」のリメイク。ハン・ヒョジュの「アドリブ・ナイト」(2006)は平安寿子の同名小説、ソン・へギョの「僕の、世界の中心は君だ」(2005)は片山恭一の「世界の中心で、愛をさけぶ」が原作である。チュ・ジフンの「アンティーク西洋骨董洋菓子店」は、よしながふみの漫画が原作。チェ・ジウの「101回目のプロポーズ」(2005)はもちろん日本のドラマのリメイク。ソン・チャンウィの「少年は泣かない」は北方謙三の「傷跡」が原作。「花より男子」はもちろん神尾葉子の少女漫画。ムン・グニョンの「愛なんていらない」(2006)は広末涼子の「愛なんていらねえよ、夏」のリメイク。

かつて女性の教皇がいた?

   カトリックの世界で最高の権威を持っているのがローマ教皇である。歴代のローマ教皇はすべて男性というのが世間の常識だが、実は女性の教皇がいたという中世の伝説がある。女教皇ヨハンナである。13世紀のポーランドの年代記作家マルティンはレオ4世(在位847-855)のあと、ヨハンナが2年7ヵ月間、教皇の位についていた。ヨハンナは12歳でドイツの修道院に入り、ギリシアへ行き、ギリシア語学者となって、男装してやがて出世を重ねた。ベネディクトゥス3世の対立教皇として、855年、教皇に選出されたが、在世中に女児を出産したことから女性であることがばれ、馬の尾につながれてローマの外に追放された。その後、お産の後遺症で亡くなったという。しかし、この事実は現在否定されている。

歌入りの主題曲

    ひと昔まえまで映画音楽といえば洋画だった。インスルメンタルではなくて主題歌のあるものが好き。へたくそでも英語の勉強になるので一人で歌っていた。「スマイル(モダンタイムズ)」「アズ・タイム・ゴーズ・バイ(時の過ぎゆくままに)」(カサブランカ)、「オーバー・ザ・レインボー(虹の彼方に)」(オズの魔法使」、「ラブ・イズ・メニイ・スプレインダード・シング」(慕情)、「ジャニー・ギター」(大砂塵)、「アル・ディ・ラ」(恋愛専科)、「ムーン・リヴァー」(ティファニーで朝食を)、「サークル・ゲーム」(いちご白書)、「ラブストリー」(ある愛の詩)などなど。近頃、洋画のヒット作品で主題歌のあるものはあまり知らない。ところでカンツォーネが日本でも流行したことがあるが、イタリア人の声の張り上げで歌うのは、オペラの影響だろう。トニー・ダララの「アル・ディ・ラ」「コメ・プリーマ」など聞くと生きる喜びを感じる。なぜかあの心地よさが、K-POPにある。いまドラマ主題歌なら韓国ドラマが宝庫になっている。カンチョル(カン・ヨファンと改名)の「君に逢える日」(ホテリアー)、チョン・イルョンの「Reason」(秋の童話)、パク・ヨンハの「初めて出逢った日のように」(オールイン)、YUNAの「FLOWER」(春のワルツ)、パク・ムクファンの「天国の記憶」(天国の階段)、アン・ジェウクの「Forever」(星に願いを)、Zeroの「約束」(美しき日々)、リュウの「最初から今まで」(冬のソナタ)などなど、今ではカラオケにもこれらの曲はほとんどあるらしい。しかし韓国語で歌うのはとても難しい。「♪クデ イジェン ネゲロ」(君は僕のもとへ)と歌う。「ネゲロ」とは日本語では汚く聞こえるだろう。韓国ではラブソングによく使われる言葉だ。「私(のもと)へ」という美しい意味なのだ。

   数年も前からK-POPが心地よい音楽だと思っていたが、今年夏、韓国女性アイドルグループ・少女時代やKARAが日本デビューした。オリコンヒットチャートの上位に入っているという。もっとこれからも韓国音楽が日本に入ってくるだろう。

2010年11月13日 (土)

映画クイズ「カップルは誰れ?」

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  漢字二文字の映画には、なぜか恋愛映画が多い。次の男性スターの相手役の女優と邦題は?

1 Waterloo Bridge ロバート・テーラー

2 Love is a Many Splendored Thing ウィリアム・ホールデン

3 Septenber Affair ジョゼフ・コットン

4 Carrie ローレンス・オリビエ

5 Beloved Infidel グレゴリー・ペック

6 Intermezzo レスリー・ハワード

7 Die Hohe Schule ルドルフ・フォルスター

8 Le Train ジャン・ルイ・トランティニャン

答え

1 哀愁 ヴィヴィアン・リー

2 慕情 ジェニファー・ジョーンズ

3 旅愁 ジョーン・フォティーン

4 黄昏 ジェニファー・ジョーンズ

5 悲愁 デボラ・カー

6 別離 イングリッド・バーグマン

7 郷愁 アンゲラ・ザローカー

8 離愁 ロミー・シュナイダー

百門にして一門を閉ず

    本日の地方版の記事。銀行員が2年間7人の女性にわいせつな行為をしたとして懲戒解雇。兵庫ひまわり信用組合の次長が300万円を着服したとして懲戒解雇。収賄罪で逮捕された芦屋市下水処理場課長補佐を懲戒免職としたこと。いずれもベタ記事で全国紙にはのらないようなありふれた出来事である。芦屋市長と助役が給料の10分の1を1ヶ月間、自主的に減らすとある。これで市民に申し訳が立つのだろうか。むしろ記者発表などせず隠行としてならばよいが、苦になるでない小額でパフォーマンスすることがあざとく感じられる。その非に気がつかぬほど市幹部たちも愚かなのである。「百門にして一門を閉ず」という諺がある。人が病気になるのはなぜか。寒暑によることもある。労苦によることもある。病気の根本原因を究明することが大事である。それと同じ職員が千人以上もの人が働いている大きな組織には複雑な問題が潜んでいる。借金を抱えている人もいれば、人事に不公平感を抱く人もいる。いろいろな問題が根底にあるはずだ。それらの問題にメスをいれず、たった当事者を処分したところで、人事異動や配置、昇進、新規採用、研修などを改善せず、庁内全体の士気があがらぬままでは、悪弊を根絶することはできないだろう。

霧に消えた人

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    キネマ旬報の「フーテンの寅さん」特集でマドンナの人気ベストテン第一位は浅丘ルリ子のリリーだった。か細い体で凛とした激しい気性を秘めているヒロイン。日本版でスカーレット・オハラを演じるとすれば浅丘ルリ子をおいて他に見当たらないだろう。しかしリリーを彼女の代表作とするには当たらない。日活時代の浅丘は石原や小林の恋人役とイメージがあるだろうが、浅丘主演の作品も実は多い。いずれも好演しているが正当な評価をされずにいた。映画「霧に消えた人」も凡作と見られるかもしれないが、実は味わいのある作品である。原作は円地文子が週刊女性自身に連載していた小説。東京の一流会社でBGをしている藤崎美沙(浅丘)は桐生の織物問屋の長男山科槙夫(葉山良二)との縁談話があった。なかなか誠実な青年だが、もうひとつ気乗りがしない。あるとき偶然に朝吹岳志(二谷英明)と出会う。山登りの好きな素朴な青年にひかれていく美沙。グループで那須高原へハイキングへ行く。ここで本当の愛を確信する。物語は利倉岸子(吉行和子)が妻子ある男性と山で心中するところから急展開。「幸福とは愛すること」と書かれた遺書があった。美沙の結婚の決心は固まったようだ。このような昭和30年代の女性の結婚観のようなものが風俗的に感じられる好編である。

2010年11月12日 (金)

幸福を招きよせる力

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    映画「セレンディピティ」(2001)偶然ニューヨーク、マンハッタンで出会ったサラ(ケート・ベッキンセール)とジョナサン(ジョン・キューザック)。瞬時にひかれあった2人だが、運命のいたずらで離れ離れに。セレンディピティ(serendipity)とは「思わぬ発見をする才能。思いがけないものを発見すること」の意。セレンディップ(serendip)はもともとおとぎ話の「セレンディップの三王子」の主人公がこのような能力を持っていたところから「思わぬものを偶然に発見する力」「幸運を招きよせる力」という意味につかわれるようになっている。いまでは怪しげなスピリチュアルな霊感商品によく使われるようになっている。

2010年11月11日 (木)

癌で亡くなった著名人

   西部劇のスター、ジョン・ウェインは遺作となった「ザ・ラスト・シューティスト」で、フロンティアに生きた伝説のガンマンが癌を宣告され、壮絶な決闘で最期を遂げるまでの7日間を演じた。実生活でも1964年に肺癌のために左肺の大半を摘出する大手術を受けた。その後も度重なる癌の再発と闘い続けた、1979年、癌のため死去。享年72歳。

肺癌で亡くなった人々 室生犀星(1962年没)、吉川英治(1962年没)、芥川也寸志(1980年没)、松下幸之助(1989年没)、渥美清(1996年没)、筑紫哲也(2008年没)

胃癌で亡くなった人々 尾崎紅葉(1903年没)、折口信夫(1953年没)、スティーブ・マックィーン(1980年没)、越路吹雪(1980年没)、手塚治虫(1989年没)

食道癌で亡くなった人々 ハンフリー・ボガート(1957年没)、高見順(1965年没)、立原正秋(1980年没)

肝臓癌で亡くなった人々 ジェラール・フィリップ(1959年没)、市川雷蔵(1969年没)、佐分利信(1982年没)、田河水泡(1989年没)、大山康晴(1992年没)、松本清張(1992年没)

大腸癌で亡くなった人々 ジョン・ダレス(1959年没)、井上光晴(1992年没)、益田喜頓(1993年没)、ジャイアント馬場(1999年没)

膵臓癌で亡くなった人々 安倍晋太郎(1991年没)、杉村春子(1997年没)、青江三奈(2000年没)、吉村昭(2006年没)

前立腺癌で亡くなった人々 中谷宇吉郎(1962年没)

頚部癌で亡くなった人々 小津安二郎(1963年没)

喉頭癌で亡くなった人々 三船久蔵(1965年没)、池田勇人(1965年没)

謹んでご冥福をお祈りします。

2010年11月10日 (水)

あのスパイ大作戦の5人は今・・・

Img_0028 左からマーティン・ランドー、グレッグ・モリス、バーバラ・ベイン、ピーター・ルーパス、ピーター・グレーヴズ

  「おはよう、フェルプス君」という言葉から始まるテープは「君もしくは君のメンバーが捕らえられ、あるいは殺されても当局は一切関知しない」と告げて、自動的にテープが消滅する。ラロ・シフリンの軽快なテーマ曲ではじまる「スパイ大作戦」は昭和42年から日本でも人気番組だった。いまメンバーはどうしているだろうか。リーダーのフェルプスを演じたピター・グレーブスは今年3月に83歳で亡くなった。フェルプスが登場したのは第2シーズンからで、第1シーズンはスティーブン・ヒル。実は彼は熱心なユダヤ教徒で、金曜日の安息日は撮影しないとかいろいろとトラブルがあって降板させられた。現在は88歳で存命。扮装の名人ローランのマーチン・ランドーも79歳で現役。美人スパイのシナモンとは実生活で夫婦だったが、1993年に離婚。1994年に映画「エドウッド」でアカデミー助演男優賞を獲得している。電子工学の権威バーニーを演じたグレッグ・モリスは1996年に亡くなっている。怪力無双のウィリーを演じたピーター・ルーパスも78歳。シナモン役の紅一点、バーバラ・ベインも79歳だが元気である。

安保のころ

    文芸春秋の12月号は「安保と青春 されどわれらが1960」である。広告に岸信介と清水幾太郎の対談とあるが本当なのだろうか。安保の時代といえば赤木圭一郎がうかぶ。洋画ではスティーブ・マックイーンだ。ちょうど「突撃隊」を見た。ほんとうは出演者たちは戦争の経験はないが、あの頃、日本でもアメリカでも戦争映画は人気があった。あれから50年。調べたら出演者はほとんど故人になっている。ボビー・ダーリン1973年、スティーブ・マックイーン1980年、ハリー・ガーディノ1984年、そしてジェームズ・コバーンも2002年に亡くなっている。

2010年11月 9日 (火)

栗田寛と古風土記

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    水戸家「大日本史」の未完であった「表」「志」を執筆したことで知られる幕末の歴史学者、栗田寛(1835-1899)は、町人の出身ながら漢学、国史を学び幕末水戸藩に仕えた。維新後、教部省、修史館、元老院に出仕した。栗田の業績に古風土記の研究がある。わが国で現存している風土記は常陸、出雲、播磨、豊後、肥前の五書であるが、その他に多くの逸文が残されている。「日本書紀」「古今集」などの考証に用いられ、一部から引用されて残っている断片的記事を収集、整理して「標注古風土記」として明治32年に刊行した。近代的風土記研究の先駆けとなった。栗田健男海軍中将は孫にあたる。

世界女優史 ジョーン・クロフォード

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Joan Crawford (1904-1977)テキサス州サン・アントニオ生まれ。ウェイトレスや店員をやっていた19歳のとき、チャールストン・ダンスのコンテストに入賞。シカゴ、デトロイトなどを渡り歩いてコーラス・ガールをつづけ、ニューヨークのレビュー団に入った。1925年、本名のルシール・フェイ・ルスールのまま「美人帝国」の端役で映画デビュー。数本出たあと「三人の踊子」からジョーン・クロフォードに改名し、MGMの新人として売り出す。「グランド・ホテル」「雨」以後、大スターの道を歩む。40年代には人気を失いかけたが、ワーナーに移り、「ミルドレッド・ピアース」(日本未公開だがTVで「深夜の銃声・偽りの結婚」という題で放送されたことがある)でアカデミー賞を受賞した。MGMからお払いばことなったクロフォードは、涙をおさえてMGMスタジオの裏門から出ていったという伝説が今も残っている。MGMを見返したいという一念と、ライバル、ベティ・デーヴィスへの執念があった。それだけにオスカー候補に選ばれ、発表の夜は高熱で出席できなかった。下馬評はバーグマンやジェニファー・ジョーンズという声が高かっただけにクロフォードの不安もわかる。いよいよ主演女優の発表、まだテレビのない時代、中継はラジオである。クロフォードはラジオも消していた。その時、彼女の家の前で歓声が上がった。「ジョーンおめでとう!」彼女の受賞であった。それを知ったファンの人々が大勢集まったのである。クロフォードはドアをあけ、立って人々に手をふった。

2010年11月 7日 (日)

世界女優史 ジル・クレイバーグ

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  Jill  Clayburgh(1944-2010)ウーマン・リブ運動が本格化した70年代。「結婚しない女」(78)で家庭の主婦から、自立した女性へ成長していくヒロインを見事に演じ、カンヌ映画祭主演女優賞を受賞。ニューヨークで勉強中の20代はじめ、まだ無名のアル・パチーノと愛し合つたが、ずっと独身を続けた。「結婚しない女」でブレイク直後、劇作家デービッド・レイブと結婚。知的でユーモアのセンスもあったが、「ウェディグ・パーティ」で映画デビュー以来、脇役が長かった。2010年、白血病のため、66歳で亡くなった。

トンデモ授業はなぜ起るのか

   ある小学校の算数の授業で「子どもが18人います。1日3人ずつ殺します。何日で殺せるでしょう」という問題が口頭で出された。また高校の試験で「校長を暗殺した犯人は誰か」と実名の教師が選択肢にあげられた。全国で耳を疑う教師の言動が頻繁に起きている。これらはいずれも教育に熱心な教師の単なる行き過ぎかもしれない。しかし今の子どもたちにはそこまでしないと興味を引かないという深刻な現実があるのかもしれない。むかしからダジャレを言って人気のある教師はいた。子どもたちの間でもマジメな子より冗談のうまい子、ユーモアのある子が好かれる。子どもたちがテレビで親しんでいるタレントのように教師も楽しくしてくれたら興味をひくかもしれないと思うだろう。セクハラサイコロといって、忘れ物などした児童に罰として、「教諭とキスする」「恋人指きり」などと書き込んだサイコロをふらせるというのがあるらしい。教室は盛り上がったとしても、なかには嫌がったり、傷ついたりする子もいるだろう。教師の経験もある俵万智は、魅力的な授業を進める力がなくなったからという。そして社会全体の風潮として、テレビやネット、政治家までもが、ワンフレーズで振り向かせる風潮が教師にも影響していると指摘する。短歌という短い文学形式を専門にされている人の発言だけに興味をおぼえる。思えば俵万智は「サラダ記念日」というワンフレーズで短歌界に革命を起こした人なのだから。人間が哲学的、思索的になることをのぞめば、言葉を数多くつないで、深く話し込むことによって真実が見えてくるはずである。一発ギャグやダジャレは芸人やタレントにまかせておけばよい。教師の持ち時間はたっぷりある。自分の言葉でゆっくりと、じっくりと、生徒たちにテレビではない、肉声で話しかける努力をしてほしい。

柳河城

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    柳川城(柳河城とも書く)は文亀年間(1501-1504)に蒲池治久が築いたともいわれるが、永禄年間(1558-1570)に、その孫の蒲池鑑盛によって築城したと思われる。蒲池氏は豊後大友氏に属したので、柳川城をめぐって、龍造寺氏との争奪戦は壮絶をきわめた。蒲池氏は敗れ、城は龍造寺のものとなった。1587年、豊臣秀吉は九州平定後は、立花宗茂が入封する。宗茂は関ヶ原合戦で西軍に加わり、敗戦後に大坂を脱出して柳川城に籠城したが、結局開城し、除封された。しかし1621年になって立花氏は再封され、柳川城は明治維新まで立花氏の居城となった。

2010年11月 6日 (土)

紙がなくなる日

   森耕一(1923-1992)の「図書館の話」(1961)が最初に書かれたのはもう半世紀前のことだが、興味深いエピソードがたくさん書かれている。デジタル化が進む以前の図書館員がどのような時代が到来するかを妄想していたかがわかる。

フィンランドのエーロ・トルヴァーネンという作家が、「紙の消滅」という短編小説を書いています。ある秋の夜明け、世界中の紙という紙が、炎も上げずに燃えつきて灰になってしまいます。その後に起きた混乱の模様を描いているのです。紙が消滅したとき、人びとにとって、いちばん大きな痛手は、紙幣が消えてなくなったひとでしょう。有り金は硬貨だけになってしまいます。身分証明書もなくなります。戸籍も消えてなくなります。学校に通う生徒たちにとっては、教科書もノートもなくなってしまいます。記録を残そうと思えば、先生の話を録音テープにとるとか、黒板の文字や絵を次々にカメラで撮影するからです。

   この本が書かれた時代でも、すでに録音テープや映像資料で記憶を残すという方法は考えられていました。だが、本を電子化して保存したりする、という具体的なイメージはまだ十分ではなかったようです。森耕一さんの死後、インターネットや紙資料のデジタル化が急速に進んでいったのです。天国で現在のインターネット社会や電子図書の配信、動画サイト「ユーチューブ」を閲覧できる社会をどのように思われるか興味あるところです。

2010年11月 5日 (金)

ギルティ

   菅野美穂のドラマ「ギルティ悪魔と契約した女」。guilty とは「有罪の」という意味。

  He was found guilty of theft.

  彼は窃盗罪で有罪となった

よく似た単語に「crime」がある。(法律上の)罪。ただし厳密ではなく、カンニングのように犯罪というほどの行為でなくてもcrimeは使われる。

  It's a crime to cheat.

  カンニングは道徳に反する行為です

よく似た単語に「sin」がある。(道徳・宗教上の)罪。

  It's a sin to tell a lie.

  嘘は罪

世界女優史 イ・ヨンエ

    透明感のある洗練された美しさで韓国映画界を代表する国民的女優といえる。その正統派としての存在は日本の吉永小百合に比されることがある。だが清純ではあるがどこか不可解で近寄りがたい存在であり、かつてはそれが演技の幅を狭めていた。ドラマ「パパ」や「ドクターズ」の女医ミンジュなどは都会派の知的なキャリア志向の女性で、身勝手で現実味がなく、大衆の共感できないものがあった。あの大ヒットした「JSA」でさえ、彼女に求められたのはクールな美しさであった。本当の意味で女優として開眼したのは「春の日は過ぎゆく」「ラスト・プレゼント」あたりからであろう。「宮廷女官チャングムの誓い」でアジア諸国でも最も愛される女優となったが、活躍はこれからであろう。デビュー当時のCMで使われた「酸素のような女性」というキャッチコピーはイ・ヨンエを語るのに最も正しい表現かもしれない。

伝統美術の復活とフェノロサ

   明治15年5月、東京大学の教授フェノロサ(1853-1908)は、河瀬秀治、佐野常民らの竜池会に請われて上野の教育博物館で、「美術真説」という講演をした。日本美術が西洋の油絵画にまさること、その振興のために洋画と文人画を排すべきことを説いた。これが一つのきっかけとなって、日本の伝統美術に復活の機運が生ずる。

   アーネスト・フランシスコ・フェノロサはアメリカ・マサチューセッツ州セーラムで生れた。父はスペイン人で、マヌエル・フェノロサという音楽家であり、母はメアリー・シルスビーといって、セーラム植民の初期にイギリスから移住してきた古い家柄の出身であった。フェノロサは生来内気で神経質で、詩や音楽を好んだ。明治11年の夏に来日、東京大学では哲学、経済学、論理学などを担当した。

2010年11月 4日 (木)

いま子どもの社会保障は

    不況が続く日本では、乳児を育てられずに置き去りにする事件が各地で相次いでいる。厚生労働省によると、トイレや病院などに身元不明のまま捨てられる「棄児(きじ)」は、年間50件にもなる。嗚呼、無情。いつの世にも多くの事情があって育てることのできない人はいる。里親制度もある。なせ棄児が増加しているのか。

  今では死語となったが、かつて日本では「嬰児殺し」という語はあった。古い国語辞典なら載っている。「間引き」ともいい、明治初年ころまでは全国的におこなわれた。その方法は布団で窒息させたり、石うすで圧殺したりする。とくに江戸時代後期にこの風は甚だしかったが、大正期になると国民の教育制度が普及し、さすがにこの悪しき風潮もなくなったかにみえた。ところが、昭和恐慌で失業者が増加した80年前、都市でこんな事件があった。東京府下板橋町で「岩の坂もらい子殺し事件」(昭和5年)である。岩の坂には当時100人以上の子どもがいた。うまく成長したものは、4、5歳になると乞食や遊芸乞食に、14、15歳になると女子は娼妓、男子は炭鉱の雑役夫に売り飛ばされる。日本はどれだけ児童の社会福祉が整ったのだろうか。社会、風俗、世相は人を映し出す鏡である。

いまにみておれ

   「勝ち組、負け組」という言葉には抵抗感がある。自分の人生をそんなに単純に白黒つけていいのだろうか、と。しかし、使い勝手がいい言葉は一過性の流行語ではなく、きちんとした日本語として定着しそうである。言葉は、ことの良し悪しではなく、国民の本音がでるものだ。「負け犬の遠吠え」という言葉もよく使われる。だが私は、むしろ「ネバーギブアップ」や「いまにみておれ」という言葉のほうが好きだ。

  むかし商売をしていた親父が廃業して、シルバー人材センターで新しい仕事をしたことがあった。まだシルバー事業が発足して間もない頃だった。父の仕事は公民館のギャラリーの監視員。つまり部屋の隅に一日、座ったり巡回する程度の仕事である。だが一日重労働をしていた父にとっては、逆にじっとしていることが辛くてすぐに辞めてしまった。第二の人生は誰でも容易なことではない。シルバーでいきいき働いている元気な高齢者をみると羨ましい。屋外作業を蔑視するつもりはないが、デスクワークを長年している人には、やはり無理だろう。「シルバーで今日も元気だ会話がはずむ」という標語を書いた車が町を走っていた。最近、ウィンクの鈴木早智子が「私は負け組」と弱音とも受け取れる発言をしていた。相田翔子が玉の輿だからなのか。しかし叙勲の家庭も裏では多事多難だろう。むしろサッチンのほうが気楽なのに、と思う。つつましい生活をして普通の生活ができればいい、と思えるようになるには、まだまだ彼女は若すぎるのだろう。

2010年11月 3日 (水)

本のある空間

図書館員げだいばかりの学者なり

  書店で話題の本を立ち読み。以前にくらべると書店に来る人も少なくなった感じ。今年はそんなに話題のベストセラーってなかったのかな。

美しいアナベル・リイ 大江健三郎
とろける、とろける 唯川恵
切羽へ 井上荒野
婚約のあとで 阿川佐和子
心に龍をちりばめて 白石一文
かたみ歌 朱川湊人
老いの才覚 曽野綾子
中日ドラゴンズ論 今中慎二
イルクーツク商人とキャフタ貿易 森永貴子
猫物語 西尾維新
マボロシの鳥 太田光
君がオヤジになる前に 堀江貴文
いわずにおかない まどみちお
宇宙は何でできているのか 村山斉
悪名の棺(笹川良一伝) 工藤美代子
のはなしさん 伊集院光

東郷茂徳

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    東郷茂徳(1882-1950)は鈴木貫太郎内閣で外務大臣として入閣し、終戦工作にあたった。国体護持という日本側の条件に対し、ソ連や中国は天皇の退位を求め、イギリスは天皇制反対論が強かった。だがアメリカの「バーンズ回答」は、天皇の地位を保証するものであった。アメリカは天皇の存続を利用して占領下の秩序維持を期待する考えがあった。東郷らの工作によって国体護持のためのポツダム宣言受諾という戦争終結がなされた。だが戦後の極東軍事裁判では真珠湾奇襲攻撃に荷担した罪により、東郷はA級戦犯として禁固20年の刑を宣告され、昭和25年7月23日、服役中病没した。

秋の叙勲

   「文化の日」は国民の祝日のなかでも最もなじみのある祝日である。この日はもともと明治天皇の誕生日を祝う日「天長節」であったが、昭和2年に「明治節」と改められ、敗戦により廃止。昭和23年、「文化の日」と制定された。秋の叙勲には今年も内外4231人ものかたがたが受賞される。扇千景は女性初の桐花大綬章を受章。2003年にも旭日大綬章を受けているので、再叙勲となる。ほか著名人には、広中和歌子、矢野絢也、松本零士(漫画家)、関根祥六(能役者)、司葉子、飯守泰次郎(指揮者)、江成常夫(写真家)、上横手雅敬(歴史)、増田義郎(歴史)、山折哲雄(宗教)などがいる。この日、皇居では文化勲章の授与式が行われる。ちなみに第1回(昭和12年)の受賞者は、長岡半太郎、本多光太郎、佐々木信綱、幸田露伴、横山大観、藤島武二ほか9名であった。

映画にみる純愛のかたち

   日活「どじょっこの歌」(1961)は何度か見たが、浅丘ルリ子の代表作だと思う。戦災孤児の芹沢浩子(浅丘)は教会の付属の保育園で働いている。近所の病院の息子、吉見高行(高橋英樹)は大学へ行く途中に浩子が歌う「どじょっこふなっこ」を聞く。やがて2人は愛し合う。だが身分の違いで親に反対される。国会議事堂前のデモに参加した高行をテレビで見た浩子は、駆けつけて警察に留置される。やがてクリスマスの日に2人は再会するが、浩子には難病が襲ってくる。まるで韓国ドラマの純愛の原型ともいえる大時代のシロモノだが、ヒロインの圧倒的可憐さに驚嘆する。高橋とは4歳も年上ながら、浅丘は純愛ドラマのヒロインを完璧に演じている。これほど薄幸で可憐なヒロインは「哀愁」のマイラに比すべきものであろう。浅丘の魅力は明眸もさることながら、細身からでる声質の美しさもあげられる。この映画が結婚前の純潔をテーマとした純愛映画とするならば、「泪壷」(2008)は官能シーンはあるものの現代の男女の純愛といえる。音楽講師の朋代(小島可奈子)は父と2人で田舎で暮らしている。癌に冒された妹の愁子(佐藤藍子)を東京に見舞うが、ついに死ぬ。愁子の夫・雄介(いしだ壱成)は妹の遺言により、骨で壷をつくる。むかしから朋代は雄介が好きだったが、思いを告げられない。幾人の男とセックスを交わすが、みたされずに走る出す朋代だった。ようやく朋代と雄介が結ばれたとき、交通事故で朋代は不慮の死をとげる。恋愛や生きることに不器用な現代の男女をリリカルに描く。これも現代の純愛のかたちといえる。

村山たか女と金福寺

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    金福寺庭園(京都市左京区一乗寺)

    村山たか女(1809-1876)は昭和38年のNHK大河ドラマ「花の生涯」では淡島千景が演じた。以後、村山たか女は美女と相場が決まっており、舞台でも岡田茉莉子、水谷良重、佐久間良子が演じている。だが、実際の村山たか女は、井伊直弼より6歳年上であり、己巳の文化6年のうまれであるから桜田門の時は、すでに50歳を超えた御婆さんであった。舟橋聖一の「花の生涯」による影響が大であるが、たか女は元は京都の芸妓であったが、井伊大老の開国政策を助けるため、隠密となり、京都における攘夷論者たちの情報を大老に通じ、安政の大獄に一役買った。しかし弾圧政策は水戸浪士の直接行動を誘発し、万延元年大老は江戸桜田門外で暗殺された。その後、たか女は、壬生に潜伏中の浪士に襲われ、三条河原で三日三晩も晒し者にされたが、後助けられ、文久2年に尼僧となって金福寺に入り、名を妙寿とあらため、明治9年まで14年間過ごし、当寺で生涯を終わった。

    仏日山金福寺(こんぷくじ)は貞観6年(864)、安恵僧都が慈覚大師の遺志により創建され、大師自作の聖観音像を本尊とした天台宗の寺院であった。その後、一時荒廃していたが、元禄の頃、鉄舟宗珠和尚が再興し、臨済宗南禅寺派の寺となった。その頃、鉄舟は松尾芭蕉と親交があったことから芭蕉がよく金福寺に訪れていた。その後、和尚は芭蕉が使っていた庵を「芭蕉庵」と名付けたといわれる。

寺田寅彦とバイオリン

   寺田寅彦(1878-1936)は第五高在学中の明治30年に阪井夏子(15歳)と結婚している。しかし当時の熊本はバンカラの気風であったので、新妻を熊本へ呼び寄せることはできず、高知と熊本と別れて暮らすことになる。明治32年9月、寅彦は東京帝国大学物理学科に入学し、夏子と所帯をもつことができた。ところが夏子は明治35年、20歳で亡くなる。明治38年には浜口寛子と再婚するが、やはり結婚生活10年余りで妻に先立たれている。

   寅彦は結婚生活には余り恵まれていたとはいえないが、先生にはたいへんめぐまれていたようだ。第五高時代に、夏目漱石に英語、田丸卓郎(1872-1922)に数学と物理学を学んだ。わずか6歳年上の田丸卓郎からは初めてバイオリンをみせてもらった。寅彦は多趣味で、俳句は漱石から手ほどきをうけ、尺八をはじめ、西洋音楽にも興味をしめした。大正11年から弘田龍太郎(1892-1952)からバイオリンを本格的に習いだした。長男の東一は次のように回想している。

   「上達の度合いはどうかというと、年をとってから始めたのにしては割合に上手になったのでははないかと思う。とにかくクロイツェル・ソナタでも何とか弾けるようになったのである。後年は藤岡由夫先生のチェロ、坪井忠二先生のビアノ、父のバイオリンで、トリオを試みたようであるが、はじめのうちは、ごくやさしいトリオの譜、主としてシューマンやメンデルスゾーンの小曲を編曲したものを仕入れてきて、子供たちと合奏して楽しんだ」とある。

   寅彦はバイオリンのほかにピアノ、チェロ、オルガン、ホルン、アコーディオンなど弾いたという。

琴はしずかに・八木登美子

    八木重吉(1898-1927)は明治31年2月9日、東京府南多摩郡堺村のかなり富裕な農家、八木籐三郎、八木つたの次男として生まれた。向学心のある重吉は鎌倉師範に進み、次いで東京高等師範(現在の東京教育大学)に進んだ。内村鑑三の著作に感化されてキリスト教に入信したのは、大正8、9年ごろである。卒業して兵庫県御影師範の英語教員となり、大正14年3月、千葉県東葛飾中学校に転任した。翌年3月に結核を発病し、昭和2年10月に転地先の神奈川県茅ヶ崎で没した。享年29歳。生前に刊行された詩集は「秋の瞳」(大正14年)のただ1冊だけである。第2詩集「貧しき信徒」は没後4ヵ月目の昭和3年2月に刊行されている。

        素朴な琴

 この明るさのなかへ

 ひとつの素朴な琴をおけば

 秋の美しさに耐えかね

 琴はしずかに鳴りだすだろう

        「貧しき信徒」(昭和3年)所収

 八木重吉は大正11年7月、東京高等師範の学生時代に家庭教師として教えた17歳の女学生の島田とみ子(1905-1999)と結婚し、桃子と陽ニをもうけた。残されたとみ子夫人はミシンの内職、デパートの店員等をしながら二人の子供を育てたが、昭和12年に桃子(15歳)、昭和15年に陽ニ(16歳)の2人の子供が相次いで失うという不幸があった。4年間、茅ヶ崎の南湖院で働くうちに、昭和19年の末、歌人の吉野秀雄(1902-1967)の家に住み込みの手伝いとして働くようになった。とみ子が肌身放さず持ち歩いていたのは、八木の書いていた詩のノートであった。

 ある日、とみ子が一所懸命たらいの中の洗濯物をごしごしやっている姿をみた吉野は、その姿を見て急に好きになりプロポーズした。昭和21年10月、二人は再婚した。吉野秀雄には4人の子供がいた。子供たちはすぐに新しい母になつき、暗く悲しい家庭に明るい光が射した。吉野秀雄に次の歌がある。

重吉の妻なりし今の我が妻よ

ためらわず彼の墓に手を置け

アニーよ銃をとれ

   西部のならず者たちの中で彩を添えるヒロインが二人いる。カラミティ・ジェーン(1852ころ-1903)とアニー・オークリー(1860-1926)である。だがジェーンは荒くれ男と酒場で喧嘩をする任侠の女であったが、アニーは酒場は似合わない可憐なショービジネスの少女であって、二人は対照的である。

  カラミティ・ジェーン、本名マーサ・ジェーン・カナリーは、伝説では馬と拳銃の名手で、男装して軍隊のスカウト(斥候)となり、よく味方の災難(カラミティ)を救ったのでカラミティ・ジェーンと呼ばれたという。実際は軍隊の雑役婦をつとめ、娼婦のようなこともしていたらしい。ワイルド・ビル・ヒコックの恋人という噂も根拠はない。

   アニーは本名フィービ・アン・モーズィズといい、1860年8月3日、オハイオ州ダーク郡に貧農の子として生まれた。上には姉たちが4人いた。幼いころから一家を支えるために、ウサギ、リス、ウズラ、カモなどをライフルで撃ち、それを現金に換えていた。シンシナティに出て、射撃の第一人者であったフランク・E・バトラーと試合をして勝ったという話は、本当ではないらしい。(フランク・バトラーとはのちに結婚する)。後にバッファロー・ビルが率いる世界最大の屋外の見世物、「ワイルド・ウエスト・ショー」に参加することになり、たちまち一座の花形となった。そして女の射撃名人として、全米だけでなく、ヨーロッパ各地をも巡業した。17年間、ショー生活から引退した後、1926年11月3日、アニーは故郷で亡くなった。

2010年11月 2日 (火)

マリー・アントワネットとクロワッサン

   今日はマリー・アントワネット(1755-1793)の誕生日。1755年11月2日、神聖ローマ皇帝フランツ1世と女帝マリア・テレジアの第15子としてウィーンのシェーンブルン宮殿で生れた。14歳でフランス王ルイ16世の妃としてベルサイユへ輿入れした。盛大な結婚式のとき、オーストリアからパン職人も連れてきて、「キプフェル」という三日月形のパンも食卓を飾った。その後、パリのパン職人も皇太子妃を歓迎する意味で、これを作るようになった。フランス語では三日月をクロワッサンというので、「キプフェル」は「クロワッサン」と名を変えて世界中で知られるようになった。

    マリー・アントワネットがどんなに思慮のない、浪費家だったかを物語るエピソードは多数の残されているが、お菓子に関する話を一つ。パリの飢えたおかみさんたちが「パンをよこせ」と叫んで、雨の中をベルサイユ宮殿に押し寄せた。その時彼女は、人民どもはなんだってあんなに騒いでいるの、と側近のものにたずねた。パンがないのですからと答えると、彼女は「パンがなければブリオッシュ(一種の菓子パン)を食べればいいじゃないの」と言ったと伝えられている。

   1793年10月16日、38歳の女盛りでコンコルド広場の断頭台の露と消えたマリー・アントワネットは、軽佻浮薄、乱費贅沢の限りをつくしたといえども、一掬の涙を誘うものがある。深田恭子が「わたしはチョコレートが好きでマリーもチョコが好き」とか、誕生日(11月2日)が同じで「私はマリー・アントワネットの生まれ変わり」と言っている。いまNHKの放送中のドラマ「セカンド・バージン」ではウザく我儘な若妻を怪演する深キョンだが、夫の若いエリート青年がアラフォーの鈴木京香と浮気するという現実にはありえない設定がユニークである。

2010年11月 1日 (月)

それにつけても金の欲しさよ

    いま老境に至らんとして、処女作の小説を書いている。どこに発表する当てがあるでなく、誰が読むでなく、ただ怨み事、僻事を書いている。そんなときヤフーのニュースで、「水嶋ヒロ(26歳)、作家鮮烈デビュー!賞金2000万円辞退!!」な、なんと、もったいない。新婚さんだし、何かと物入りなんじゃないかと推察するのだが、やはりそういう世俗を超えているのがカッコイイのじゃろう。本も売れそうだし~。編集部もヒロ君とは知らなかったらしい。実名を伏せて応募し、実力1本で大賞をゲットしたからエライ!2000万円の賞金を辞退する若者もいれば、350万円の終身年金をもらうビッグスターもいる。世の中、いろいろでいいんじやない。でもやっぱりね、年寄りはみんな金には目の色かえるね。死んでもあの世にもっていけるわけないのに。

尾崎紅葉の妻

    尾崎喜久(1872-1953)は明治24年、19歳のとき尾崎紅葉と結婚。新見藩の漢方医樺島玄風の娘で芝浜町の新見藩関氏の邸で育つ。だが紅葉は病弱で明治36年に亡くなる。当時は印税制が確立されていなかったので、たちまち収入が途絶えた。喜久子と子供は戦時下、千葉の片田舎でひっそりと暮らしていた。小学生の孫が新聞配達しながら家を助けてする。菊池寛がそのことを聞いて、出版社からなにがしの金を集めたという。昭和28年、喜久子は81歳で亡くなった。

おんな物語

   女にはいろいろな呼称がある。佳人、細君、柳腰、淑女、閨秀、などなど。「一盗ニ婢三妾四妓五妻」という言葉が古くからあるが、色事は他人の妻を盗るというのが一番で、歌の文句にも、「くもりガラスを手で拭いて、あなた明日が見えますか、愛しても愛しても、ああ他人(ひと)の妻♪」と大川栄策のヒット曲「さざんかの宿」にある。演歌には人妻がよく似合う。

    女性にまつわる言葉は多い。夫人、婦人、毒婦、獏連、白鬼、すれっからし、魔性の女、あげまん、さげまん、少女、童女、女子中生、女子高生、女子大生、OL、BG、年増、ホステス、飯盛女、看護婦、家政婦、女中、女官、女給、女子行員、女子アナ、ワンサガール、貞女、聖女、酌婦、売笑婦、悪女、妖婦、ヴァンプ、ギャル、姉御、雨女、色女、淫婦、采女、姥桜、石女、大年増、おぼこ、おてもやん、お多福、女盛り、看板娘、貴婦人、紅一点、小娘、女性、女流、手弱女、刀自、女人、御中臈、侍女、生母、御台所、側室、愛妾、姐御、雪女、女猫、猫娘、ろくろ首、間諜、女スパイ、鳥追い、夜鷹、くの一、妖婦、令嬢、後家、未亡人、風俗嬢、トルコ嬢、 ソープ嬢、ヤンママ、コギャル、グラドル、コールガール、スチュワーデス、エアーホステス、歌姫、舞姫、バレリーナ、踊子、お針子、ストリッパー、皇女、皇妃、王女、王妃、プリンセス、マドンナ、女神、ミューズ、ビーナス、裸女、海女、女相撲、新婦、新妻、妊婦、寡婦、女御、ヒロイン、婦人警官、鬼嫁、老女、干物女、中年女、酒場女、歴女、女医、女優、妾、妻、タイピスト、女飛行家、女教員、モデル、マヌカン、遊女、乙女、采女、市女、大原女、阿蘇女、白拍子、有閑マダム、傾国傾城、三十路女、四十路女、かまとと、女子プロ、妖精、ニンフ、花売娘、女工、芸者、キャリアウーマン、湯女(ゆな)、スケ番、女囚、美人、美女、美少女、醜女、おんな、をんな。

日本女優史 水谷八重子(初代)

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   水谷八重子(1905-1979)本名は松野八重子。芸術座の理事をしていた水谷竹紫(姉の嫁ぎ先)のもとに、母と寄寓。その縁で芸術座で初舞台を踏む。その後、新劇、新派などに出演。1939年、守田勘弥と結婚したが51年に離婚。戦後は新派の中心女優として活躍。お蔦(婦系図)、お宮(金色夜叉)など代表作だが、実在の人物も演じている。樋口一葉、与謝野晶子、九条武子、松井須磨子、松旭斎天勝、富田家の八千代など多彩。洋物としては「アンナカレーニナ」でセルジーの役を、「大尉の娘」でマーリヤ、プッチーニのオペラ「蝶々夫人」なども演じたことがある。

沢田美喜とパール・バック

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パールバックと沢田美喜(昭和35年5月)

    岩崎久弥の長女であり、岩崎弥太郎の孫である沢田美喜(1901-1980)は、敗戦後、日本の混血児のために孤児院(神奈川県中郡大磯町)を開設した。最初に寄付をしてくれた英国人女性の名前に因んでエリザベス・サンダース・ホームとした。ホームには延べ2000人以上の孤児が育っていった。沢田の社会事業に協力的な女流作家がいた。「大地」で知られるパール・バック(1892-1973)である。バックは旺盛な創作活動の傍ら、社会事業・平和活動を続けたが、自分の子が精薄児であることからホームの事業に深い理解を示した。アメリカでの資金集めになみなみならない協力を惜しまず、さらに2度もホームに来園している。

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