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2010年10月18日 (月)

龍馬の気概

  NHK大河ドラマ「龍馬伝」福山雅治・龍馬暗殺まで6ヵ月。慶応3年4月23日、夜半。瀬戸内海でいろは丸(168㌧)は紀州藩の明光丸(887㌧)と衝突し、沈没した。紀州藩は御三家の権威を背景に長崎奉行を動かして、政治的圧力を加えようとしたが、龍馬は衝突のさいに甲板には責任ある仕官がひとりもいなかったことが事故の原因として、紀州側の責任であるとした。談判の結果、紀州藩は8万3000両余りの賠償金を払うことになった。世界に通用する公法をもって処置すべしということである。

    ところで、尖閣諸島衝突事件で仙谷は、「政府の対応がどうだったかは長い目で見て判断する必要がある」として、自己を小村寿太郎になぞらえたり、柳腰外交などと言っている。では反日デモで壊れされた民間企業はどうするのだろうか。泣き寝入りするか、自前で修理するしかないのか。政治的な問題が背景にあるのだから、政府がきちんと対応すべきであろう。いま国家外交の姿勢が問われている。

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