ふるさと茨城
「茨城」は、古くは「茨木」と書き、『常陸風土記』には、土賊のたてこもった穴を茨でふせいで攻めたという伝説により「茨木」の名が出されたとある。江戸時代10余国の小藩がひしめく常陸国にあって水戸黄門で知られた水戸藩第2代藩主徳川光圀は観農政策の実施に努めた。『新編常陸国誌』の著者、中山信名、反骨の芸人、都々逸坊扇歌は水戸の出身。樺太探検の間宮林蔵は筑波郡谷井田村(現・伊奈村)。水戸藩の会沢正志斎は尊皇攘夷運動に大きな影響を与えた。尊皇攘夷派の藤田東湖、戸田忠敬、武田耕雲斎らは「水戸の三田」と称された。元治元年、筑波山に挙兵し、天狗党と称した藤田小四郎は東湖の子である。アララギ派の歌人、長塚節は結城郡岡田村国生(現・石下町)の生まれ。明治の詩人、横瀬夜雨は郷里の横根(現・下妻市)に取材した詩作が多い。「ソーセージの父」と呼ばれる飯田吉英(1876-1975)は新治郡戸崎村(現・かすみがうら市)の出身。雪印乳業の黒澤酉蔵(1886-1982)は、久慈郡世矢村(現・常陸太田市)の出身。早稲田大学野球部監督で「学生野球の父」と称された飛田穂洲(1886-1965)は水戸市出身。
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