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2010年10月 8日 (金)

英雄の死と虫けらの死

   田山花袋の「田舎教師」という小説がある。結核に冒され、日露戦争勝利の提灯行列の声を聞きながら短い生涯を終わる青年の話である。これほど有名な文学作品でありながら映画化されたことがない(もしかして昔にあるかもしれないが・・・)大河ドラマ「龍馬伝」もあと何回かで龍馬が近江屋で暗殺されて終わる。このシーンはこれまで映画・ドラマで何十回とあっただろう。その差はなにか。英雄の死と虫けらの死か。明治の片田舎の教師の死など誰が映画館へ来て見に来るものかと製作サイドは判断するのだろう。龍馬や幕末の若き志士たちの死は明治国家の礎になったのだろうか。本当は龍馬の意思は明治には継がれていない。だが現代になって龍馬ブームは体制に利用されたような気がする。田山の小説は日露戦争で多数兵士が犠牲になったという時代背景があるだろう。また西欧の自然主義文学の影響もあるだろう。作中にハウプトマンの「寂しき人々」がでてくる。主人公フォッケラートが周囲の無理解なために自殺するという悲劇的な物語である。19世紀末には悲劇的な話が流行した。「メメント・モリ」(死なねばならないことを忘れるな)という標語が15世紀中世ヨーロッパに流行したのはペストによって3分の1の人、およそ2500万人が犠牲になったためだが埋葬する暇すらないほどだった。その恐ろしさは今日のわれわれの想像を絶するものであるが、諦念と死の恐怖が人々に何をもたらすものであるのかよくわからない。ただ国家が龍馬という英雄の死を美化して、若き兵士たちを戦場へおくり、散華していった歴史を忘れてはならない。

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