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2010年10月27日 (水)

漱石と梁川

    夏目漱石(1867-1916)と綱島梁川(1873-1909)と2人が面識あるかは知らない。ほぼ同時期に活躍した人である。漱石の「吾輩は猫である」が「ホトトギス」に発表されたのが明治38年。梁川の『病間録』が同年、梁江堂から刊行している。漱石の『吾輩は猫である、下編』が刊行された年に、梁川の『回光録』がでている。両書は明治末期の大ベストセラーだった。

   日露戦争後の社会は、大和魂とふりまわしている風潮があり、漱石などは文明批評や芸術論を繰り広げながら、間接に資本主義体制を批判していた。梁川も病弱ながらも、宗教的体験者として自己省察の道を選んだ。当時の文壇は、独歩、露伴、透谷、緑雨、樗牛などがいた。漱石は朝日新聞だったので、毎日新聞の木下尚江(1869-1937)と比較される位置にいた。綱島梁川の文名を知る人は今日ではほとんどいない。忘れられた思想家といえるだろう。かつては岩波文庫にもあったが、今日入手は難しい。「広辞苑」には簡明に記している。「綱島梁川。思想家、評論家。名は栄一郎。岡山県生れ。早大卒。美術・文芸評論で活躍し、宗教に関心を深め、「予が見神の実験」は反響を呼ぶ。著は西洋倫理学史、病間録」とある。

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