柳腰外交で国滅ぶ
明治のころ、自分の妻を「細君」と呼ぶのがはやった。「細君」という漢語は、元来、中国の古い言葉で、諸侯の夫人の呼び名が小君だったことから、漢の時代の東方朔が自分の妻を「細君」と呼んで、自分を諸侯になぞらえたのが起源とされる。このように日本人は知らず知らずに中国の言葉や風俗をとりこんでいることに気づかずに日常的に使っていることが多い。1973年の春、廖承志を団長とする友好代表団が来日したとき、折から端午の節句とあって、ある町では歓迎の鯉のぼりが飾られていた。日本側の一人が「中国にもこのような節句がありますか」とたずねたところ、中国の団員は「これはもともと中国の風習であり、それが古い時代に日本に伝わったのです」と言って破顔一笑した。
昨日の国会論戦で「柳腰外交」が取り沙汰された。山本一太が「官房長官が対中政策を柳腰外交とおっしゃいましたが、どんな趣旨か」と質問した。仙谷は「しなやかにしたたかに外交戦略を組んでいくということです」山本は「言葉の起源は唐の時代。女性のしなやかな腰を表現している。女性を表現するときにしか使わない。外交政策を表す言葉としては不適切だと思う。撤回して下さい」仙谷「撤回するつもりはない」として、討議は終わっている。
言葉狩りをするつもりは毛頭ない。そもそも仙谷のいう「柳腰外交」とは意味不明の日本語である。「しなやかな外交」というのであれば「やなぎ外交」か「柳と風外交」で十分であろう。「柳と風に受け流す」という意味ならば理解できる。なぜ「柳腰」なのか。「柳腰」とは「細くてしなやかな女性の腰つき」のことで美人のたとえである。国会で誤用を指摘されたにもかかわらず強弁している。「柳腰外交」を英訳しても正確に海外に伝わらず、誤解をうむ結果となり、国益を損なう。「柳腰」は唐代の語で、その昔は「細腰」と言った。『韓非子』二柄編に 「楚の霊王が細腰の婦人を好んで、国中に餓死者が多くなった」とある。政治家が淫乱になれば、民は苦しむたとえである。柳腰という表現は女性の妖しい美しさを讃えた隠語であり、寄席、茶屋、遊郭などで好まれた言葉だ。春信が描いた堺屋そで、笠森お仙を思い出す。仙谷はお仙が好きなのだろう。だがこのような華美淫楽な風潮が政治に蔓延すると国滅ぶことは韓非が忠告している。やはり中国四千年の歴史には勝てないのだろうか。
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