甦った山本五十六の銅像
昭和18年4月18日、ブーゲンビル島上空で乗機を撃墜されて戦死した山本元帥の巨像がかつて土浦の霞ヶ浦海軍航空隊の敷地内にあった。高さ3.6m、台座2.7mの石像は元帥の偉勲を讃仰し、大日本美術協会の56人の彫刻家が製作したものである。除幕式は開戦3年目に入る昭和18年12月8日に行われた。しかし敗戦によって米軍によって解体されることを恐れた予科練生たちが像を上下二つに解体して、上部は昭和20年8月26日、海軍の別れの習慣である「帽ふれ」に見送られながら湖底に沈められた。昭和23年、地元の有志により上部が湖底から引き上げられ、現在は江田島の教育参考館にある。下部は56年間も所在不明であったが、飯塚直一、和男兄弟が埋没したことが分かり、発掘され現在は予科練平和記念館の武器学校内「雄翔館」傍にある新山本五十六像の台座の一部に納められたという。
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