名作は夜つくられる
森鴎外は明治25年に本郷区駒込千駄木町21番地の団子坂の家へ越した。団子坂の別名潮見坂の名に因み観潮楼と呼んだ。その2階から眺めると、はるか彼方に品川沖の白帆が見えたという。この2階12畳の一間は、幸田露伴、斎藤緑雨、森田思軒、饗庭篂村、依田学海、上田敏、小山内薫らが集まり文学サロンとなった。休みの日は来客が多く、平日は陸軍軍医という多忙な勤務におわれている。あの膨大な著作は何時書かれたのであろうか。いきおい、睡眠時間を削って夜中まで著述したのであろう。こんな話がある。鴎外宅の前に下宿してきた学生が、鴎外の書斎の明かりを見るうちに、自分も勉強を続けてみようと試みたが、いつまでたっても明かりが消えないので、とうとう根負けして眠ってしまった。鴎外は深夜まで著作に励んでいた。あの名作は夜つくられた。
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