ポップアートと前衛芸術との違いは?
1950年代の終わりごろ、豊かな経済フームの最中にポピュラー・アート、あるいは短かくしてポップ・アートがイギリスとアメリカで同時に生まれた。これまでのエリートの抽象美術ではなく、もっと広く大衆のための芸術の解放のようなものであった。リチャード・ハミルトン、トム・ウェッセルマン、クレス・オルデンバーグ、デイヴィッド・ホックニー、そしてアンディ・ウォーホルが現れた。音楽でも1966年、ロジャー・ミラーの「イギリスは時計の振り子のように揺れている」というフレーズのある曲が流行っていた。そしてイギリスの4人グループのビートルズはまたたくまに世界的な人気者となっていく。日本でも欧米の影響を受けて前衛美術は昭和初期から移入された。しかしそれらはいずれも模倣にすぎなかった。吉原治良(1905-1972)は藤田嗣治から「他人の影響がありすぎる」と批判され、20年後芦屋で具体美術協会を率いて活動を始めた。藤田の言葉「人のまねをするな」が吉原自身の言葉となって「誰もやらないことをやれ」が具体のモットーとなった。しかし、具体美術協会は吉原の死とともに解散する。なぜ日本では前衛運動が大きく展開しなかったのか。やはりポップアートのような大衆に開かれた芸術でなかったことに一因があるように思う。吉原治良は吉原製油の社長の子息であり、実業家である。ジョン・レノンの妻オノ・ヨーコが安田財閥の令嬢であるように、日本では芸術は有産階級のものであった。最近は吉原の出身校である関西学院や芦屋市が美術館で前衛美術を顕彰しているが、大衆に支持されたものでなければ大きなうねりとはならないであろう。
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