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2010年10月21日 (木)

ふるさと埼玉

    太田道灌は太田資清の子で、生地は相模、あるいは埼玉県の越生ともいわれるが明らかではない。戦国時代、卓越した大名を輩出しなかった武蔵では上杉謙信、武田信玄、北条氏康の抗争が繰り返された。豊臣秀吉の統一政権により、圧力が強まり、北条氏が惣無事令に違反して真田氏の名胡桃城を攻略したことから秀吉の怒りをかい、1590年小田原攻めによの小田原城が落城し、鉢形、岩村、忍などの武蔵の諸城もあいついで開城し、武蔵の統治は徳川家康によって成された。近代になると、渋沢栄一、渋沢喜作、大川平三郎、尾高惇忠ら実業家がいる。社会運動家の石川三四郎は本庄市。著述家には森村誠一(熊谷市)、石井桃子(さいたま市)らがいる。

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