世界女優史サラ・ベルナール
サラ・ベルナール(1844-1923)。パリ大学の学生E・ベルナールを父に、ユダヤ系オランダ人のジョリ・V・アールを母として、1844年10月23日パリに生れた。国立音楽演劇学校を卒業したのち、1862年に18歳でコメディー・フランセーズでデビューしたが、翌年には同座を去った。その後、ジムナーズ座に出演中ベルギーの貴公子に愛されモリスを産んだ。男に捨てられたサラはモリスをかかえて劇場を転々としながら、1866年に第二国立劇場オデオン座に入り、もちまえの努力と天性の美声によってフランソア・コベ作「行人」で初めて成功を収めた(1869)。普仏戦争後、ビクトル・ユゴー作「リュイ・ブラス」で大成功を収め(1872)、コメディー・フランセーズの支配人E・ぺランの懇望で同座に復帰した。ラシーヌ作「フェードル」で名声を得、以後、演劇界に大女優として君臨する。1879年にはヨーロッパ、南北アメリカを巡演。1893年にはルネサンス座の座長、1897年には自分の名をつけた劇場の座長となった。1915年、足を切断したが、演劇への情熱は衰えをしらなかった。
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