明治小説の意外なモデル
文学作品のモデルを詮索することは通俗的な趣味であろうが、ブログ記事としては面白い題材であろう。
鹿鳴館が開館したのが明治16年11月。アメリカから帰国した山川捨松が大山巌の後妻となったのは同年12月の事だった。若き大山夫人捨松は、名流婦人たちの中でも、ひときわ夜会服が似合った。だがこの大山夫人が後にはなんと徳富蘆花の『不如帰』では浪子をいじめぬく継母のモデルといわれるようになった。真相はわからないが。
森鴎外が漱石の『三四郎』に対抗して書いた小説『青年』。これをよめば明治末期の文壇がわかる。作家志望の青年・小泉純一が東京でさまざまな体験をする。このころ鴎外は歌人を観潮楼に招いて歌会を開いていた。医学生で西洋の文学に詳しい大村荘之助は木下杢太郎がモデルだといわれる。そして小泉純一は石川啄木だといわれる。裕福な小泉とは境遇が異なるものの、「スバル」の編集人だった啄木に鴎外が興味を覚えたことは十分に考えられる話である。
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