漱石「漾虚集」にみる芸術観
古代以来、西洋芸術において、詩と絵画は姉妹芸術であり、特にルネサンスからバロックの時代にかけての絵画論は詩学を基礎としていた。19世紀以降、この考え方は大きく変化するが、空間的要素である絵画と、時間的要素である詩を姉妹芸術として競合させようとする運動はラファエル前派にみられた。そして近代的芸術観を模索する若き夏目漱石も留学中ラファエル前派、あるいはアール・ヌーヴォーから影響をうけたことは、疑う余地はない。
明治33年9月漱石はロンドン留学のためドイツ汽船プロイセン号で横浜を出発した。10月21日パリに到着、パリに8日間滞在している。正木直彦(のちの東京美術学校長)の宿舎に行く。渡辺薫之助(文部書記官)の案内でパリ万国博覧会を見る。25日には美術館へ行きビアズリーの展観を見る。世紀末の退廃、幻想と現実との異様に交錯するビアズリーの芸術作品が漱石にどのような影響をもたらしたかは明らかではない。しかし、帰国後の明治39年5月に刊行された『漾虚集』にはパリ、ロンドンで得た芸術的感動の所産とみられるものがある。
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