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2010年10月24日 (日)

13世紀14世紀の旅人たち

   「愚者は食を語り、賢者は旅を語る」というヨーロッパの諺がある。むかしからヨーロッパ人はキリスト教の布教やアラビアの織物、アジアの香辛料、中国のシルクや陶磁器などを求めて商人たちがはるか遠い旅をしていた。プラノ・カルピニ(1182頃-1252)やルブルック(1220頃-1293頃)は、モンゴル人にキリスト教改宗をすすめるためカラコルムを来訪した。2人の報告書は当時のモンゴル、中央アジアを知る貴重な史料となっている。モンテ=コルヴィノ(1247頃-1328)は1294年大都(現在の北京)に到着し、中国でキリスト教を布教した。コルヴィノの要請で新たに7人の司教が中国へ派遣されることなり、うち3人が大都に到着した。しかし彼の死後、布教はふるわず、明朝末期(16世紀末)にイエズス会宣教師が訪れるまで、中国のキリスト教はほとんど消滅した。マルコ=ポーロ(1254-1324)はモンゴル帝国の大都を訪れフビライに仕えた。帰国後、ジェノヴァでの獄中生活で、同囚であったピサの物語作家ルスティアーノ(生没年不明)に口述して筆記されたのが「世界の記述(東方見聞録)」で、この書の中で、当時の日本をジパング(Zipang)と呼び、豊かな黄金の産地としている。ジパングがジャパンに由来するかは不明である。新説に拠れば、中国語のJihon(ジーフン)が16世紀に東アジアに来航したポルトガル人によってヨーロッパ諸語に取り入れたとする。イブン・バットゥータ(1304-68/69/77)はアフリカ、アラビア、イラン、インド、中国などを歴訪した。彼の口述を筆記した著書「三大陸周遊記」(原題「都会の珍奇さと旅路の異聞に興味をもつ人々への贈り物)はアラビア語旅行文学の傑作といわれる。(Ibn Battutah)

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