龍馬・お龍の新婚旅行
楢崎お龍(1841-1906)は京都柳馬場三条下ル青蓮院宮家侍医楢崎将作の長女として天保12年に生まれた。一説によると西陣有職織物商井筒屋喜右衛門の女で、14、15歳の頃、楢崎家の養女に入ったとある。坂本龍馬より6歳年下になる。弟妹らの世話をしながら伏見寺田屋に住み込みで働く。慶応2年、寺田屋事件では、入浴中のお龍は風呂から飛び出して注進、薩摩屋敷に通報し、龍馬の危難を救う活躍をする。その後、西郷の取り計らいで、2人は薩船で鹿児島へ新婚旅行に出かける。船で浜之市にあがり、犬飼瀧、和気神社を訪れる。塩浸温泉で10日ほど滞在。霧島神宮、霧島温泉郷、天の逆鉾、と薩摩の旅は83日間だった。その間の霧島での26日間の滞在はとくに楽しかったと見え、その様子を乙女姉さんに手紙で詳しく書き送っている。これがいわゆる日本最初の新婚旅行といわれている。もうすぐ福山雅治、真木よう子による「龍馬伝」もハイライトを迎える。
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