興譲館
江戸時代、藩校が盛んであった。萩の明倫館、秋田の明徳館、会津の日新館、水戸の弘道館。なかでも米沢の上杉鷹山(1751-1822)は儒学を奨励し、興譲館は知られている。細井平洲、神保蘭室、片山一積らが教授にあたった。だが同名の藩校が各地に存在している。小城藩、徳山藩、荻野山中藩。それから民間教育機関として、甲斐の谷村(やむら)興譲館、私学の岡山興譲館がある。
たとえば甲斐国では由学館という藩校があるが、甲府代官所の山本大膳が文政6年に「石和教諭所」(八代郡)とよばれた庶民教育の機関を設立した。のち雨宮哲助(六園)は石和教諭所、甲府学問所を勤めた後、代官佐々木道太郎に招かれて谷村興譲館の教授として、活躍した。槇田斯興(1830-1889)、田村一郎、笠井光謙らの教授へと明治まで存続していた。米沢と岡山興譲館は高等学校として現存する。
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