戦国大名の出現
戦国大名の成り立ちはさまざま。①武田氏、大内氏、島津氏など守護大名がそのまま戦国大名に成長した②上杉氏、陶氏、尼子氏などのように守護大名の家臣の頭である守護代が、下克上で主君を倒し、戦国大名にのし上がっていった③伊達氏、浅井氏、毛利氏などのように国人たちが一揆(同盟)を結び、その中から一人が頭角を現していった④伊達宗瑞(北条早雲)、斎藤道三のように出自不明で実力で大名の座を占めた。など色々ある。
武田氏
清和源氏、新羅三郎義光の3男義清が武田郷にすみ、武田氏を称したという。名氏の地については、従来甲斐武田郷(韮崎市)と考えられてきたが、最近は常陸武田郷(勝田市)説が有力視されている。鎌倉時代に甲斐守護に任じられ、のち安芸守護を兼任。1519年、信虎は本拠を躑躅ヶ館に移した。
上杉氏
上杉頼重の孫憲顕以降、関東管領職を世襲、関東に一大勢力をもつ。越後上杉は山内上杉からの分流。1510年、長尾為景は房能を滅ぼし、越後の実権を握る。
浅井氏
北近江の守護大名だった京極氏の被官から身をおこした浅井亮政からはじまる。亮政、その子久政、さらにその子長政と3代にわたって発展する。長政は六角義賢を破り、近江半国の戦国大名となった。
尼子氏
尼子経久は、守護である京極政経を追放し、出雲の守護となった。
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