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2010年9月12日 (日)

谷崎潤一郎の女性崇拝

    最近テレビで川端康成の「片腕」や谷崎潤一郎の「富美子の足」(日本文学シネマBUNGO)を見る。「富美子の足」は大正8年に発表された小説だが読んだことはない。若い女性・富美子(加藤ローサ)の肉体に愛着をもつ老人(寺田農)は青年の画家に富美子の肢体を描かせる。老人は危篤状態になるが、富美子の足で顔を踏まれることに無上の快楽を感じ、足を踏みつけられながら死んでいくという話。谷崎の絢爛たる文体であれば、変態的な話も芸術として見る事ができるが、ドラマだとなかなか難しい面がある。珍妙な印象を受けた。大映の「瘋癲老人日記」の若尾文子を思い出した。老人は自分の墓を仏足石にするため女の足の裏の拓本をとるという話だった。思えば谷崎には女性の足の描写がよくある。処女作「刺青」にも女の肌に刺青を入れた後、真っ白な足の裏が印象的だった。戦後の作品「鍵」では「芸術か猥褻か」という物議が国会の法務委員会でとりあげられた。「瘋癩老人日記」は谷崎75歳のときの作品である。40年以上も「富美子の足」のモチーフをあたためていたのだろう。道徳も自我をも越えて、性の神秘に挑み、女体を賛美する。変態性欲への世界も畏れない。フェティシズムだろうがロリコンであろが美とエロスへの欲情は年老いても衰えることなく、ますます盛んとなる。現代は性に対して抑圧する社会の動きが見られるが、悪魔主義といわれる谷崎の面目躍如たるものが感じられる。

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