忘れられた思想家・田岡嶺雲忌
今日は山東京伝忌、田岡嶺雲忌、泉鏡花忌、吉川英治忌。嶺雲が亡くなったのは明治45年9月7日であるが、この年の夏は日本列島は、何とも重たい空気がたれこめていた。明治天皇が7月初旬から体調を崩し、7月30日午前零時43分崩御業された。そして9月13日大葬の日、乃木希典大将夫妻が殉死している。田岡嶺雲も明治を生きた人だ。だが嶺雲は天皇制や資本主義に対して鋭く批判を浴びせた。家永三郎の著作に「数奇なる思想家の生涯」があるが、すでに半世紀前のものであり、いまでは嶺雲の名さえ知る人は少ないであろう。
田岡佐代名(1870-1912)。高知県土佐郡石井村の出身。評論集「嶺雲揺曳」(明治32年)によって広く文壇に認められた。硯友社などの文壇を批判し、下層社会の窮状を訴えて、当時の悲惨小説の理論的支柱となった。のちに社会主義に接近し、日露戦争後は、幸徳秋水らの運動を支援した。著作はことごとく発禁処分を受け、いまでは忘れられた思想家といえる。
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