学童疎開船・対馬丸の沈没
昭和19年7月にサイパン島が陥落し、沖縄での攻防戦が必死となって、沖縄本島・宮古島・石垣島の老幼婦女子を疎開させることが政府の緊急閣議で決定された。8月21日、疎開学童と一般疎開者を合わせた1,788名(うち学童834名)が対馬丸(675トン)に乗船。他の疎開船と船団を組んで、長崎を目指し出航したが、翌22日夜、奄美諸島悪石島付近でアメリカ潜水艦ボーフィン号の魚雷を受けて沈没した。攻撃の理由は乗客の一部に軍関係者がいたためとされる。沈没が夜で波も高く、犠牲者は1476人といわれる。生存者には緘口令が敷かれ、撃沈の事実を口外することを禁じられ、調査も行なわれなかった。遺族が事実を知るのは終戦後しばらくしてからである。平成9年12月12日、海洋科学技術センター(現独立行政法人海洋研究開発機構)の探査機「ドルフィン3K」によって対馬丸の船体が確認され、悪石島沖10キロメートル、海底約870メートルに対馬丸は今も眠っている。学童疎開船「対馬丸」の沈没は「ひめゆりの塔」の話のようには知られていないが、日活の吉永小百合主演の「ああ、ひめゆりの塔」(1968年)には撃沈された悲劇が語られている。他の「ひめゆりの塔」や沖縄戦映画には無いものが多い。
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