呉の諸葛一族
諸葛孔明(亮)には、7歳年上の兄がいた。諸葛瑾(174-241)という。諸葛亮とは異母兄弟で、亮が蜀の劉備に、瑾が呉の孫権に用いられたのはよく知られている。瑾には恪、喬、融の3人の子がいた。長子諸葛恪(203-253)は、若くして名を知られた奇才であった。しかし父親亡き後、あまりの専横に、呉帝孫亮らによって殺される。家族も全員処刑された。父は生前、恪について、「聡明すぎて家を全うするまい」と語っていた。
恪についてこんな話が残っている。恪は、宴会の前夜、胸騒ぎがして眠れず、翌朝、洗面しようとしたところ、水も着物も生臭かったとして、いきなり侍女を斬ったという逸話が「三国志演義」にみえる。陳寿は「驕慢で狭量であったので身を滅ぼした」と評している。
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