大正アララギ短歌の2、3の特徴
①写生主義。アララギは正岡子規の根岸短歌会が出発点である。作例として島木赤彦の「隣室に書よむ子らの声きけば心に沁みて生きたかりけり」がある。病気で臥せっていると、隣りで子供たちの本を読む声が聞こえてくる。まず情況を詠んで、五句に「生きたかりけり」と心情の発露が泣けてくる。
②万葉調。赤彦の「高槻のこずゑにありて頬白のさへうる春となりにけるかも」は「石そそく垂水のうへのさわらびの萌えいづる春になりにけるかも」(志貴皇子)からインスパイアーされているらしい。長塚節の有名な歌「垂乳根の母が釣りたる青蚊帳をずかしといねつたるみたれども」のように枕詞「垂乳根」が効果的で、またまた泣かせてくれる。
③生活即文学。農家の古泉千樫は「牛の歌人」と呼ばれた。「茱萸の葉の白くひかれる渚みち牛ひとつゐて海に向き立つ」(千樫)。伊藤左千夫の「おりたちて今朝の寒さを驚きぬ露しとしとと柿の落葉深く」単なる季節感を表現するのではなく、自然と自己との対峙が感じられる。
④ポスト印象派。大正初期の島木赤彦はボスト印象派の影響がみえる。「夕焼空焦げきはまれる下にして氷らんとする湖の静けさ」(大正2年)翌年、赤彦はタヒチに渡ったゴーギャンのように、突如、八丈島に渡った。
⑤病弱。なぜかアララギ歌人は短命な人が多い。長塚節、島木赤彦、古泉千樫、門間春雄、松倉米吉など40歳ならずにこの世を去っている。子規が短命だったことと関連するのだろうか。「生活即文学」病気を詠んだ名歌が多い。母の死の歌も多い。(なぜか父の死の歌は少ない)
結論。アララギ短歌は泣ける。自分もつくりたいが、万葉集の勉強が不可欠である。だから歌人になれずに、万葉研究者や評論家になった人も多い。もちろん自然と共に暮らすことも必要なアイテム。都会の片隅で冷房完備でパソコンに向かう毎日では、とてもよい歌は作れそうもない。
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結構ためになっちゃいました
ケペルTは外人の方かしら
投稿: 齋藤桃香 | 2010年9月17日 (金) 22時55分