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2010年8月22日 (日)

歌謡メロドラマ小史

    歌謡曲に着想を得た歌謡映画(ここではミュージカルではなく、便宜上、こう呼ぶことにする)が作られるようになったのは、いつごろからであろうか。ヒットした流行歌をそのまま映画のタイトルにすれば知名度にあやかりある程度の観客層が見込めるというねらいがある。最近では新垣結衣・生田斗真の映画「ハナミズキ」も「君と好きな人が百年続きますように」がモチーフになっている。 

   東海林太郎の「国境の町」は昭和9年に曲が大ヒットして、翌年に新興キネマで映画化された。これが歌謡映画の最初ではないだろうか。この歌謡メロドラマを日本映画に定着した人は島耕二(1901-1986)ではないだろうか。島は戦前「情熱の詩人啄木」「裸の町」「青い背広」など二枚目俳優であったが、戦後、大映「十代の性典」など娯楽映画の監督として知られる。彼のもう一つの功績が「歌謡メロドラマ」である。カルピスの宣伝「銀座カンカン娘」(昭和24年)、そごう百貨店の宣伝「有楽町で逢いましょう」(昭和33年)、「上海帰りのリル」(昭和27年)など都会的なロマンス物を得意とした。昭和30年代半ばになると各社、歌謡映画を製作するようになった。日活は「南国土佐を後にして」「上を向いて歩こう」「硝子のジョニー」「いつでも夢を」「美しい十代」「学園広場」「花咲く乙女たち」「高原のお嬢さん」「哀愁の夜」「骨まで愛して」「逢いたくて逢いたくて」、松竹は「黄色いさくらんぼ」「川は流れる」「アンコ椿は恋の花」、大映「高校三年生」など。1970、80年代には「神田川」「赤ちょうちん」「関白宣言」「俺ら東京さ行ぐだ」などフォーク・演歌の作品の映画化も流行った。最近のJ-POPにはほとんど見られない傾向である。とくに島耕二の「有楽町で逢いましょう」は大映全盛期を飾るオールスター作品であるが、明るい都会的センスに溢れた名作で歌謡メロドラマ史の金字塔である。愛煙家の菅原謙二と可愛い京マチ子の名コンビが織りなすツンデレ・ロマコメの逸品。

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