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2010年8月 5日 (木)

信長入京と付藻茄子

    永禄11年(1568)9月26日、織田信長は大軍を率い将軍義昭とともに入京した。信長は東寺に陣をとり、義昭は清水寺に入った。京の町は騒動し、家財をもって逃げ出すものもいたが、入京した信長は、藤川藤孝に御所の警備を命ずる一方、軍勢を厳格な軍規統制のもとにおき、市中の動揺もまもなく鎮静した。畿内の諸大名・商人らが、先を争って新しい支配者に追従した。「甫菴信長記」によると、連歌師の紹巴・昌叱、医師の半井驢庵・雖知苦斎道三、そのほか諸道の名人たちが訪れた。大和多聞城城主松永久秀が人質をだし、「我朝無双」と称された唐物の茶入れ「付藻茄子」を献上して、大和一国の支配をまかされた。こうして信長による畿内経営がはじまった。大名物「付藻茄子」は本能寺の変をくぐり、1615年に落城した大坂城の焼け跡から拾いだされた。いまは静嘉堂文庫美術館に所蔵されている。

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