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2010年8月27日 (金)

氏姓制度と戸籍

    江戸時代に生まれた人が除籍されずに戸籍上は生存扱いになっている問題で、長崎県壱岐市は、文化7年(1810)生まれの200歳の男性の戸籍が残っていると発表した。文化7年は国定忠治の生年であるという。防府市では文政7年(1824)生まれで186歳、大村益次郎と同じ年、姫路市では天保11年(1840)生まれで170歳、黒田清隆と同じ年になる人の戸籍が残っている。

    国民がもっと氏(うじ)姓(かばね)や戸籍について関心をもつ必要があるのではないだろうか。そもそもわが国では5世紀から6世紀にかけて大和・河内やその周辺を基盤としたヤマト政権が誕生すると、まず豪族は、氏という政治・社会組織が編成された。一般に氏族制度というのは、共通の祖先を認め合うことによって連帯感をもつ人々で、氏族名が弁別される。だがわが国における氏族制度は社会組織が氏族を単位とし、血縁関係を骨幹として形成されというものではなく、豪族が私有地をもち、そこに居住する部民を私民として支配する政治組織である。ゆえに、これまでの「氏族制度」という用語にかえて、「氏姓制度」という語を採用している。わが国の氏姓制度は、おそくとも6世紀前半ごろには成立していた。しかし、一般の民は姓を称することはなかった。一般の公民が姓を有するようになるのは、庚午年籍(670年)、庚寅年籍(690)という戸籍に登録されるようになってからである。これによって公地公民が徹底した結果、地方豪族の不満を高めることとなり、壬申の乱で近江朝が敗北する一つの要因となった。律令国家の末期には「偽籍」という現象が現れる。これは国司が農民や役人と結託して、男を女として戸籍に登録し、中央に納める租税を少なくする、脱税行為である。不明高齢者問題で遺族が住民票をそのまま残しておき、年金を不正受給する現代とあまり変わらない話である。

    現行の杜撰な戸籍制度の管理は、嘆かわしいことである。これによって徴税や選挙権にかかわるわけでもなく、また4年ごとに行われる国勢調査とも無関係らしく、ただ役所の吏員が機械的にコンピュータに入力し、管理しているだけのことなので特段の弊害はないと言えばそれまでの話であるが、戸籍が最も重要な国民の記録文書であることは歴史的にみて明らかであり、関係責任者に猛省をうながすものである。

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